地方から出てきた私は、地下鉄にも満足に乗れないぐらいの情報弱者で、江東区に当時はあった事務所にたどり着くにも一苦労していました。
そもそも地方は単線しか走っていないわけで、乗り換えなんて分かるはずもなく、上野から日本橋へ銀座線に乗り、東西線を乗り継ぐなんて芸当は恐怖でしかありませんでした。
そんなどうしようもなかった私が、この会社でどのようにスタートしたのかを入社、研修の時期のお話として語ろうと思います

ドキドキの入社式からの大企業の洗礼

忘れもしない、4月2日の入社式の日のことです。

3月31日に東北の田舎から出てきた私は、その日はホテルに泊まりました。実は、その後、このホテルには仕事で何度か宿泊することになり、いわゆる、企業御用達の定宿でした。
お察しの通り、SEだけではなく営業にも深夜対応が何日も連続するような業務があるのがこの業界なので、寝袋を常備していた人もいました。ですが、それはまた別の機会に説明します。

さて、私は事業部直接雇用という別枠の採用でしたので、当時のO事業部長から正式に入社を言い渡され、入社式が終わると会議室に通されオリエンテーションが始まりました。
出てきたのは総務のWさんとIさんです。漫才コンビのような掛け合いで、ふわっとした話をしています。
ふたりとも見た目よりも若く3歳前後でした。

そんなオリエンテーションが一通り終わり、時間も17時20分になっているため、定時退社することになります。この後、定時退社することが出来るのは数えるほどしか無かったわけですが、今だけはこの定時退社=定退を楽しみました。
みな、初めての顔合わせなので緊張からか、寮のある蒲田までほとんど会話も無く移動します。まるで、WさんやIさんが引率の先生のように私達を率いてくれるため、「会社って学校の延長なのかな?」なんて考えてしまいました。

実際、大企業は高校の延長な部分が多いです。

大学では目的とするコマがあるのかどうかを確認して履修届けを出して勉強していますが、大企業の研修はカリキュラムや通知などはすべて送られてきます。自分で考えなくてもストーリーに従っていれば勝手に年次研修を受ける仕組みになっていて、自動的にレベルアップ出来るようになっているのです。

その感覚が最初の日から出ていたということなのでしょう。

私たちはまるで“先生に付き従う子供のように”地下鉄東西線を経由しJRの京浜東北線で移動しました

 

蒲田の寮での二人暮らしと温度設定

寮につくと、オリエンテーションで教えられた自分の部屋に向かいます。私は角部屋の201号室。実は一人暮らしを始めてからもこの数字にはご縁があって大体この部屋番号で過ごしていたりします。

さて、この時の寮のサイズは8畳一間に押し入れ付き、窓は2つ付いていてルーフバルコニー付きでした。風呂トイレは共同で大きな風呂を使えるのは良かったですが、ウォシュレットがトイレに付いていなかったのが難点でした。

この時相方だったSくんは九州出身で、私が東北出身です。さらに、私はのっぽで痩せており、彼はまんまるとしていました。お気づきかと思いますが、ここでエアコンの温度問題が勃発します。
彼は寒くても、その肉厚から腹を出して寝ています。私は風邪などひかれると困るので毛布をかけてあげましたが、それが邪魔だと怒られたりします。

これがきっかけで彼とは疎遠になり、彼が退職した後に同期の結婚式などで会ったときですら会話が成立しないような状況です。
ちなみに、彼が離職した理由というのは、少なくとも私とのコミュニケーション不足からではなく、仕事に適合できなかったということらしいです。

終身雇用制の会社ではありましたが、案外離職は普通に起きていました。理由は人によってまちまちでしたが、残業が多いからということではなく、仕事の内容に対する適正の問題だったような気がします。

 

研修開始と挫折

最初の二週間ほどは事業部毎の全体研修があり、一般職の女性も含めての研修となりました。

会社のルールや簡単な英語研修など、あまり役立つような内容はやっていません。最初は華やかな研修だったのですが、一般職が配属されてしまうと、一気に技術職の強い研修に入っていきます。つまり、プログラムの講座が始まったのです。

ここでは、いわゆる一般的な開発手法ではなく、この会社独自の手法を教え込むための研修です。

これが、1.5ヶ月程続きます。私たちは数十名と大きな会議室に朝から晩まで篭りっきりで、ひたすらフローチャートを書いていました。
まだ、この時点ではPCは配備されていませんので、すべて手書きです。

その後、フローチャートの写経が終わるとようやくPCを使ったコーディングが始まります。この時、内部講師と外部講師がそれぞれ付いてくれました。
内部講師は上級主任クラスのエースが立ちます。この会社では、後輩の指導者になれる人=エースという扱いのため、その期間は業務をカットしてでも講師として活動していました。

さて、私はプログラムを学生時代やっていたもののそんなに得意ではなく、四苦八苦していました。中々上手く行かないプログラムとバグの嵐に悩まされます。商用レベルに達せない、適正がないということをまざまざと感じるわけです。周りはできていくのに自分だけは先に中々進まないといったことが毎日続きます。

そうこうする内に私のプログラム研修は幕を閉じましたが、同期たちはここから翌年の3月まで介護保険パッケージアプリケーションの開発に進んでいくことになります。純粋に新人だけで設計から開発、マーケティングに販売までおこなったプロジェクトでした。

 

運命の配属面接

私は配属面接へと進むことになりました。つまり、SE適正は不合格となったのです。これは、これまでの人生を否定されたぐらいの衝撃でした。「何のために地方から出てきたのか?」、「何のために情報の勉強をしてきたのか?」という葛藤がありながらも、配属面接へと臨むことになります。

配属面接では、営業部門に行くことは確定していたので、どの顧客を担当したいのかを話しました。なんでもいいわけではありません。元々、コンピュータを使って社会に貢献する仕事をするためにこの会社に来たはずです。
そこで一番規模の大きな仕事、且つ、誰しもが影響を受けている顧客である年金システムでした。私も若かったので、面接官であった部長職の方に以下のように言いました。

「SEになれなかったので、今度は私の要望を叶えて下さい。この会社で最も大きい仕事をさせて下さい。」

その時は特に反応が無かったのですが、無事、一番大きい年金の仕事をやることができました。部署名も1部1課、エース部門である証拠です。
大企業では、内線番号の上から順にその会社で影響力が強いことを表していることが多く、営業部門のトップで仕事ができることにホコリを持っていました。
実質、原子力発電所の部門などと比べても、単月の売上が全社合わせても1位になっていた時期でもあり、皆自信にあふれていました。この続きは次回以降で説明します。

 

暴走した茨城合宿

配属後の6月半ば、1泊2日の茨城合宿が行われました。創業したのが茨城だからなのですが、バスで会社から茨城の工場まで行きます。その工場見学とその先にある創業の地にあるモーターを見に行くわけです。
日本企業の創業のモニュメントって奴です。他社にもよくあるものなので、珍しいことではないのですが、私はそういうものはあまり見たことがなかったのでとても参考になりました。
この時、少しずつですが、会社が硬直化していることもあって、ベンチャー魂みたいなものを植え付けるような動きが始まりかけていました。
ですから、この創業時の魂のようなものを体感せよ、ということだと私は強く感じました。
とは言っても、それ以外は特筆してみるものも無く、むしろ工場のほうが圧倒的に大きな装置を組み立てていたので圧倒されたのを覚えています。

工場は2箇所あり、それぞれ作っているものは異なっていましたが、二つとも巨大なインフラを造っていたので、社会とはこのように成り立っていると感じたものです。
また、この時はこの工場の工場長を経験しないと社長になれないというしきたりもあり、それこそ、今のようにIT関連が突出して来るなんて誰も思ってもいなかったと思います。
我々はこのままずっと続く重電のスキームに勝てないのかと思いもしましたが、私の当時の上司はそうは考えていませんでした。

必ず現在のスキームはひっくり返す事ができる、何十年かかっても必ずと。その思いは現在あと一歩まで来ています。
この会社の幹部一覧を見ると私が一緒に仕事をさせていただいた方が幾人もいます。
さて、工場見学も終わり夕方になり、私たちはバスで海岸沿いの民宿に到着しました。まさかの大部屋での雑魚寝です。「学生かよ!」と突っ込みたくなりましたが、このようなことは部署単位のゴルフとかでは当たり前になっていくので、若気の至りですね。

そうこうしていると、夕食の時間の前がとても暇になります。みな、目の前の海に遊びに行きます。誰かがどこからか調達してきた花火で遊び始めます。
私はと言うと、インナータイプなので、みんなが遊んでいる姿を時々窓から眺めながら、テレビを見ていました。

そして、夕飯の時間になりましたが、一部の人間が帰ってきません。さらに、就寝の時間になっても帰っておらず、問題になりかけていました。
どうも、地元の女子と良い感じになって、こっそり開いている部屋で遊んでいたようでした。それが発覚した翌朝、引率していたWさんが激怒します。
いつもは温厚な人だったのに、キレる瞬間に立ち会ったわけです。約束を破った同期はそれでもヘラヘラと笑っていたのですが、それが余計に火に油を注ぐことになりました。
そういうこともあって、翌年度からの見学は宿泊がなくなるのですが、この時は誰も知るよしもありませんでした。さらに、その翌年は完全に廃止されます。

(IT業界で転職サイトで転職ばかりしている人には信じられない話だと思います)

 

まとめ

入社からたった3ヶ月しか経っていないのですが、意外と色んな出来事が起こっていました。

最初の研修がとても楽しいのはどこの会社も一緒ですが、次回は実際の業務内容について説明していきたいと思います