営業としての活動を、提案、見積り、業務でのエピソード、プロジェクトのフォロー、役所対応の大変さなどに焦点を絞り、いくつかに分けてお話ししたいと思います。
ノストラダムスの大予言のせいで世紀末感が漂う時代のお話ですから、現在とは少し違うお話だと思って下さい。それでも、ニュースなどでトップが語る言葉からにじみ出る企業感をみると、当時と現在はそれほど大きな違いはなさそうです。

大型汎用機「メインフレーム」を販売するということ

最初に配属された部署での仕事は、

  • 大型汎用機=メインフレームの社内用の伝票を発行する事
  • 導入作業の工程管理を行うこと
  • 導入自体の現場責任者になることでした。

ほとんど、ゼネコンがやる仕事と変わりませんし、多重請負構造もそっくりです。

そのため、ITゼネコンとも言われていました。実際、建築業法の届け出は毎回必要でしたし、そういった資格申請も必要でした。

具体的な話をすると、メインフレームというのは完成までに数ヶ月を要しますから、必要になった段階で発注を掛ける必要があります。
ところが、受注はほぼ確実なのは決まっているのに、契約書の締結は顧客都合上ずっと先になってしまいます。
そのため、事業部を超えて工場と事前決定通知書というイレギュラーな文書をやり取りすることで、承認を得て作業着手をおこなう流れでした。
しかし、この流れはコンプライアンス(法令遵守)違反にみなされる可能性があるため現在では通用せず、現在の受発注システムには予約機能がついていると思います。

 

実際の導入作業はどのように対応していたのか?

導入作業はどのように進めるのでしょうか?

まず、年間の全体計画が先に決まっています。大きな流れに沿って各月毎に作業計画を練っていくわけですが、具体的な進捗は2週間毎の工程管理という会議で行われました。

初期は上司も出ていましたが、数回出席したあと私だけの参加となり、工事を担当するグループ会社のリーダーとSEリーダーで行いました。いきなり最初からプロジェクトリーダーとして訓練される所がすごいところです。

工程がすべて決まると、全者で合意形成を取るため、工程線表というガントチャートを作ります。それが営業の仕事でした。
SEはあくまでシステム面での対応であり、ハードウェア的な側面は営業がフォローするというのがお約束でした。それが完成し、全員の合意が形成された段階でシステムから発注を行い、週末の作業へと入っていきます。

週によって作業が異なりますので、事前にその週の作業はどのようなリスクがあるのかを頭に叩き込む必要があります。

  • 10トントラックを利用する場合もあるので、道路交通法に抵触しないか(端的に路肩に止めていないか)
  • 搬入ルートは入り口から入れられるのか
  • 難しい場合はクレーンを使用するだけの広さがあるのか
  • 導入済み機材への影響範囲はないのか
  • SEジェネレーション作業へのシームレスな引き継ぎをするためのタイムリミットは何時で、切り戻しまでの余裕はあるのか
  • 作業人員の休憩場所は確保できるのか
  • 食事はどうするのか

など考えることは沢山あります。

それでもトラブルは起こります。搬入した機材が壊れていたということも精密機械の性質上起こりえます。そうした細かい問題を考慮しながら、本番稼働するまでこの工程を繰り返していきました。

 

国家予算を作る

導入作業はだんだん落ち着いて来た時、次の営業としての重要な活動が訪れます。それは、次年度予算の申請のための予備情報の提出です。

国民の税金を扱っているわけですから、その費用にはきちんとした理由が必要です。

  • なぜその金額になったのか
  • どうしてこのベンダーを採用しなければいけないのか

など、国会答弁で突っ込まれたときのためたくさんの資料を要求されます。

そういった積み上げの中で、私たちは「このハードや・ソフト、保守サービスを◯◯◯億円としてお願いしたいと思います」と見積を提示します。
しかしながら、一般会計というものは、一般歳入の枠ありきです。その予算案分の予想の中で、足りない分をどのように捻出していくのかという話になります。

そこで出てくるのが、この組織の場合は特別会計という庁独自の予算でした。

これは一般会計以外の収入源を持つ他の省庁でも同じように抱えていて、野党が時折指摘している埋蔵金の正体でもあります。

特に国土交通省は莫大な物を持っていましたが、そういった独立行政法人を民営化してしまったため、見えなくなっていますし、総務省は通信行政を抑えているため携帯電話を普及させるだけでお金が入る仕組み持っており、税金以外でもお金というものは国に流れていたりします。
その国の予算を決め始めるのがその年の2月あたりからで、1ヶ月ほどでまとめていきます。

その後、幾度か資料提出を求められつつも、いちばん重要なのが、8月末の衆院予算委員会です。ここですべての予算が決まりますから、各省庁の企画課も財務省(当時は大蔵省)の主計局も寝ずに対応する時期となります。
これが、財務省が不夜城と呼称され、役所の前に居酒屋タクシーが準備してしまうきっかけになっていました。すべては皆過剰なサービスのために産んだ悲劇とも言えます。

この時期、お客様とは夜通し電話で会話をしたりしてお互いの信頼を高めていくのですが、今の時代から見ると生産性がとても低い行為ですよね。

 

部署異動でオープン系システムを担当する

配属から約1.5年が経過して、次は、税務について対応することになりました。

とは言っても隣の課に移っただけですが、私の中では筆頭部にはいるものの筆頭課でなくなったことを残念に思いました。ちなみに、ここからこの部署には4年ほど在籍することになります。

さて、この時私は何をするかも決まっておらず、とりあえず言われたことをやっているだけでした。目の前にあったLAN/OAの入札を淡々とこなし、無事受注することになります。

大手町のとある公社だったのですが、そこの担当部長さんの個人PCも合わせて受注しました。
これは当時の課長が営業たるものなんでも売れるようにならなければいけないという考えの人で、自社品であればなんでも対応しろという考えでした。
この受注をきっかけに金額の小さい案件を暫くの間担当することになりつつ、それまではハードウェア担当でしたが、巨大なマルチベンダー契約の税システムのソフトウェア契約の担当も行いました。
ただ、この契約は前の部署とは異なり、特殊な利益構造を持っていたためとても複雑で、当時の私もあまり理解できなかったですし、上司も理解させないようにしていた節があります。

 

21世紀目前でインターネット関連のビジネス

21世紀目前で、ホームページの受託製作案件を毎月やっていたりしていました。

今の私でしたら自分でサクサク書いて1日ぐらいで納品していたと思いますが、品質担保の名のもとに業者に発注しているところがITゼネコンです。

これも約1年続きます。その間に、京橋にある独立行政法人のLAN/OAを受注したり、柏にある大学校の入札案件を担当したりと、メインフレーム以外のビジネス拡大を考えていたのが当時の課長でした。
その間にインターネット関連のサービスとして、ウェブ通販サイトの証明を行うためのJavascriptと電子証明書を組み合わせたサービスの拡販のために全国を飛び回ることになりますが、全く売れませんでした。
私は意味の分からない物にこの人達が情熱を書けることが理解できませんでした。

海外では似たようなソリューションがあったのですが、日本ではそもそもe-コマースがまだ流行っておらず、流通量も低かったため必要ではなかったのです。もちろんURLのなりすまし問題はありましたが、現在はブラウザがブロックしSSLが高度化することで回避可能です。

その後、ホームページを制作していることで別の部局から呼び出されました。どうやら半年後に新しいインターネットサービスを立ち上げたいというお願いでした。JAVAで作って欲しいとお客様から仕様書が手渡されます。普通ならここで入札になるのですが、時間がありません。

そこで、10万SDRを下回り、随意契約で受注できる金額で契約しました。そして、意気揚々と持ち帰ると、私だけ特別な会議室に呼び出しを食らいました。上司もおらず、担当するSEの課長だけがその場にいました。本案件を受注するに際して、アーキテクチャーの選定から殆どを私がやりました。
当時事業所内にJAVAを本格的に触ったことがある社員や協力会社がおらず、自分で調査し概要設計まで作っていました。
基本設計は流石にSEが行っていましたが、それも下請け企業が行ったもので問題ないと判断しました。

しかし、それがSEの部長の逆鱗に触れることになったのです。

 

何故逆鱗に触れたのか?

ここで密接に絡んでくるのは、既存で提供しているメインフレームで動いているプログラムでした。似たようなプログラムを片方は数億円もらい、片方は数百万で完成する宣言すると、それこそ再査定問題になるわけです。
何より品質問題に発展します。SE部長が問題視したのは国民に広く一般開放するインターネットのサービスにおいて、プログラムのロジックミスは致命傷になりかねないため、品質管理(=QA)を徹底する必要があるという考えでした。

これは、本来、落ち穂拾いの精神という会議であり、事故案件を対処後に再発防止策を練り、他案件で発生させないためのQAのアップデートのために行われるものでした。

今回は事故を未然に防ぐために事前にQA部長含めて大お説教大会となったわけです。入社3年目の若造にここまでして教育してくれるなんて本当に幸せな会社だと思いました。
ここで、受注した金額とは別に、数千万円のプロジェクトフィーを会社から借り、またメインフレームでプログラムのQA担当者を期間限定で貸し出してもらえることになりました。

 

失敗が成功の元を体感する

受注してから約半年が経ち、正月を返上して、1月15日を迎えサービスがローンチしました。順調なアクセス具合であっという間に100万PV程アクセスされた覚えがあります。最終的に利用が止まる3月中旬までの2ヶ月間で330万PV程がアクセスされたようでした。
実際の処、私がこれをやる気になったのは、Webで計算してPDFを出力して印刷して郵送してもらうだけのサービスにどれだけの価値があるのかよりも、既に先行して作られていた電子申告システムと言う存在があったからでした。120億円の似たようなサービスが初年度24000レコードしか登録されず、どれほどお金を無駄にしているのかと思ったのです。

この時、私は必ずこの電子申告システムとWebサービスを融合させるところまで持っていってやる!と思っていました。。

 

まとめ

非常にリーダーシップを若いうちから学ばせる傾向の高い会社だと言うことがわかると思います。

また、悪いことは悪いときちんと怒ってくれる良い会社でもあり、社会に信用と信頼を積み上げるということはこういうことなのかと思いました。

次回はこの後どのような展開になるのかお伝えします。