迷っている人は必見!サラリーマンから医師になる方法!

医師

私は、25歳のときにサラリーマンから医学部に再受験し医師になりました。医学部志望の高校生や再受験を考えている社会人の方に、私の経験を伝えることで少しでもお役に立てればとこの記事を執筆しようと思いました。

特に、過去の私のように医師になりたいけど今は他の仕事をしている方、会社を辞めて再受験して上手くいくか不安に思っている方、今からではもう遅いと諦めてしまっている方にぜひこの記事を読んでいただきたいと思っています。私の経験をご紹介したこの記事が、このまま今の仕事を続けていくのか、医師を目指し再受験するのかを決断するために、少しは参考になるのではないかと考えております。

今回の記事では、私が医師になって感じた医師の現状や現在求められている医師像に触れながら、私の高校生時代から就職を経て再受験するまでに感じたことや経験したことを中心に書きたいと思います。

 

医師を取り巻く環境は20世紀とは大違い!

私が医師になったのは21世紀になってからであるため、それ以前のことは詳しくわかりません。しかし、先輩医師から2000年頃から少しずつ医師を取り巻く環境が変わってきたというお話を何度かお聞きしたのでそれを簡単にご紹介します。

医師を取り巻く環境は年々厳しくなっていると感じています。大学病院勤務の医師はまだよいと思うのですが(大学病院勤務医にはまた違う厳しさがあるのですが、これはのちの記事でご紹介します)、地方・僻地の病院は医師不足から一人当たりの医師の負担が大きくなり労働環境は年々悪化している傾向にあります。

私の同僚でも、勤務医の労働環境に嫌気が差して開業していった医師が何人もいます。医師の労働環境の悪化は限界近くまできていて近い将来、抜本的な医療改革をしなければいけない時がくると思っています。

 

少子高齢化社会でどのような医師が求められる?

2030年頃までは75歳以上の人口は増え続けます。医療・介護・生活支援などを一体化した地域包括ケアシステムのもとでの在宅医療・かかりつけ医の重要性がますます高まっていくでしょう。

2000年代は病院内でのチーム医療の充実が図られてきましたが、在宅医療の増加で病院の外で働く様々な人とのチーム医療が重要になってきます。
医師は在宅医療では、ケアマネージャー・ホームヘルパー・理学療法士などとのチーム医療痛みの管理を含めた緩和ケア終末期の患者とその家族との向き合い方など様々なことに対応しなければいけません。

病院においても85歳以上の高齢者の診察をする機会が増えます。高齢者は複数の病気を抱えている方が多いので、専門領域だけでなくその他の領域の知識も必要となります。
また、医療費削減をいう点から予防医療の知識がますます重要となるでしょう。

 

このような状況に対応するために、患者や家族と向き合う覚悟・幅広い知識・高いコミュニケーション能力など総合的な能力が高い医師が求められています。

 

サラリーマンから医師になるにはきっかけと勇気が必要!

ここでは、私が高校時代からサラリーマンになるまでに考えていたことや、サラリーマンから再受験をして医師を目指す決断をするきっかけなどをご紹介いたします。

深く考えずに医学部受験を決意!

私は、最初の大学受験で医学部を受験して不合格になっています。
高校2年生で文系・理系を選択しなければいけないとき、数学が得意だったという理由だけで、なんとなく理系を選択しました。はっきり言って将来どんな職業に就きたいかなどなにも考えていなかったです。そのためこのときは特に医学部志望というわけでもありませんでした。

高校3年生になり医学部受験を決めた理由は、単に難関といわれている医学部に合格したいという自己満足を満たすためだけで、医師という職業に就きたいという気持ちはあまりありませんでした。

受験校を決めた理由も本当にいい加減で、東京から離れる気はないから自宅から通える医学部が絶対条件で、さらに通学が大変になると嫌だと思ったので通学時間1時間以内というだけで、東京にある2大学のうちののどちらかを受験すると決めました。

本当に医師になりたいのなら、地方でも受かる可能性が高い大学や、将来やりたい分野が強い大学を選ぶのが普通だと思いますが、私は医師になることにそれほど強い思いはなかったので、そのようなことは考えずに受験校を決めてしまったのです。

根拠のない自信からいきなり不安に襲われる!

全国模試や大学別模試を受けましたが、私が受験した東京にある医学部の合格判定はほとんど40%~60%、1回だけ60%以上、40%以下の時も何度かありました。もう一つの志望校は80%以上の判定が出ていたのでこちらを受験すれば合格できた可能性は高かったと思いますが、当時は難しい大学に合格するという自己満足が大きかったので、可能性が低い方の大学を受験することに決めてしまいました。

年が明けるまでは、40%の判定ばかり出ていたにもかわらず、自分は合格できるだろうと根拠がない自信をもっていました。しかし年が明けると、もしかしたら自分は合格できないのではないか、と不安になってきました。年明けからセンター試験までの約2週間は人生で最も勉強した期間だと思います。

医学部を受験することを決めたときは、医師になることに思い入れはなかったのですが、この頃になると医学部に合格して医師になりたい気持ちが大きくなってきていました。自分の将来を思った時、いつの間にか医師として働いている自分を想像するようになっていたのです。

必然だった医学部受験失敗と後悔!

センター試験で予想通りの得点が取れたことでの油断、私立大学受験、その入試結果などでセンター試験以降は勉強に集中できなくなりました。
結局、二次試験では得意だった数学で問題文を読み間違えるというミスが原因で不合格になってしまいました。

不合格になったあとすぐには思いませんでしたが、のちに医学部受験に失敗したことは当然の結果だったと思いました。医学部を受験する人は、私のようにいい加減に決めたわけではなく、自分の将来をもっと真剣に考えた上で受験しているひとばかりです。受験間近は医師になりたい気持ちはかなり大きくなっていたとはいえ、他の人とは真剣さが全然違ったと思います。思いが軽いから最後頑張ることができず、あと一歩のところで不合格になってしまった可能性が高いのです。

ぎりぎりの接戦になったら思いの強い人が合格する可能性が高くなるので、医学部受験を考えている方は、強い思いを持って臨むことをおすすめします。

このように私の高校時代の受験は、受験校決定・センター試験後の勉強など後悔ばかりが残るものとなりました

受験勉強からの解放だけで入学した私立大学

国公大学は医学部を受験しましたが、私の家庭は私立大学の医学部の授業料を支払えるほど経済的に余裕があるわけではなかったので、私立大学は医学部以外の学部を受験しました。

普通なら理系学部を受験すると思うのですが、理系学部は大学に入学後忙しくなるということを聞いたので、文系学部を受験することに決めました。文系学部はどこの学部でも一緒といういい加減な考えから、自宅から通える大学で、入試科目に数学がある学部というだけで、2つの大学の経済学部・政治経済学部・商学部(商学部だけ2大学とも受験)と決めました。
社会や国語も受けなければいけませんでしたが、受験した文系学部には全て合格することができました。

医学部に落ちてしまったので、浪人するか文系学部に進学するかを決めなければいけません。先ほども書きましたが受験の終盤はもう勉強に身が入らなくなっていて、一刻も早く受験勉強から解放されたいと思っていたので、それほど考えることもなく文系学部に入学することを決めました。どの文系学部に進学するかは、商学部にあまりいいイメージが無かったので商学部以外、あとは大学の名前で決めてしまいました。

医師になりたい気持ちは大きかったのですが、この時は諦められるぐらいしか思っていなかったということだと思います。

大学時代の講師のバイトが再受験のポイントに!

大学生活は楽しかったです。出席をとる講義は少なく、試験もほとんどの人が合格できるものだったので、週に2回ぐらいしか大学には行かず遊んだり、アルバイトをしたりしていました。

塾の講師や家庭教師のアルバイトをしましたが、文系学部に在籍しているのに理系科目を高校生に教えていました。教えていた科目は、主に数学と英語で物理と化学を教えることがありました。
比較的学力の高い生徒を教えることが多く、その中には医学部志望の生徒が何人かいました。その生徒たちを見ていて、自分が医学部受験に失敗した理由が思いの弱さにあったのだと初めて気づかされました

クラス指導は決まったテキストがありましたが、家庭教師や個別指導では決まったテキストはなく、その日に生徒から質問されることをその場で考えて教えるスタイルでした。アルバイトとはいえ仕事ですから、問題文を読んですぐに解答の方向性ぐらいはわからないと申し訳ないので、数学は自宅でけっこう勉強しました。就活時は、アルバイトの時間を減らしましたが卒業するまで続けたので、約4年間数学の勉強をし続けたことになります。

結果として、この時の数学の学力は大学受験したときよりもかなり高くなっていたと思います。この経験が3年後再受験するとき、かなり役に立つことになりました。

どこか引っ掛かりを感じながら就活開始!

大学2年の後半になり就職のことを考えるようになりました。就活前や就活が始まってしばらくは医師のことをかなり考えていました。受験時に自分が働くことを想像したときに医師として働いているイメージが付いてしまったため、医師以外の職業に就くイメージがしにくかったのです。医学部に合格していたら今頃なにしているのだろう、あのときもっと将来について考えていればよかった、等うじうじ考えていました。

どこか引っ掛かりを感じながら始めた就活ですが、医師にはもうなれないのだからと諦めて、医師以外でどの職業に就きたいかを真剣に考えました。今、考えると諦める必要はなかったのですが、この時は再受験することなどは全く考えていませんでした。

真剣に考えた末に絞った業種は、マスコミ・金融・商社の3業種です。
どの業種もそれぞれ魅力的なところがあって甲乙つけがたかったのですが、世界で大きなビジネスをしたいと思って商社に決めました。そう決めてからは、英語の勉強も始めました。就活のために英語を勉強したことと、商社で英語に触れていたことは再受験の際の受験勉強に大きな助けとなりました。

入社したら医師のことは全く考えなくなった

入社1年目は私が思っていた商社での仕事内容はできなく、議事録の作成と契約書の作成ばかりやらされていました。仕事内容に不満はあったのですが、新しい環境への期待感などで意外と精神的には充実していたと思います。

2年目になると、事業モデルの作成に参加できたり大きなビジネスに少しずつかかわることもできるようになったりしたので、仕事が面白くなってきました。

この頃は、医師のことは全く考えませんでした。就活時に医師になれないことに対しての気持ちの整理がついていたこと、仕事が楽しくなってきたこと、プライベートが充実していたことなどから、過去を振り返って考えるより現在と将来についてしか考えていませんでした。

母の病気をきっかけに気持ちが揺れ出した!

入社2年目も終わろうとしている3月下旬の土曜の朝、母が目の調子が悪いと言い出したのです。ものが二重に見え、眼球があまり動かせないようでした。すぐに眼科医院で診てもらうことにしたのですが、ものが見えにくい母をひとりで行かせることは危ないかもしれないと思い、私も付き添って行きました。眼科に行く途中に母と、目薬でもさしてもらってあとは様子をみるだけじゃない、などと話していて深刻な病気とは全く考えていませんでした。

眼科医院に着くと、患者さんが多く診察まで1時間ほど待たされました。診察は数分で終わり、母が待合室に紹介状を持ってきました。私は、このときもまだ深刻な病気ではないと考えていて、紹介してもらった大学病院に向かいました。タクシーで大学病院に行ったのですが、その向かっている間に母の体調が悪くなり出したのです。めまいや吐き気などを訴え、タクシーを降りたあとひとりではまっすぐ歩けないほどになっていました。このときも医学的知識が全くない無知な私は、車酔いしたのかも、程度にしか思っていませんでした。

検査の結果、脳梗塞で即日入院することになりました。その日の夕方には、左半身に軽度の麻痺が現れ、医師からは後遺症が残る可能性があるからリハビリをした方がよいという話がありました。

母の左半身の麻痺は、気づいてから治療までに時間がかかったことが原因である可能性が高いです。朝9時頃に気づいたのに、治療が行われたのは午後1時前です。
私が脳梗塞の可能性があるとすぐにわかって救急車を呼んでいれば、救急車を呼ばないまでも総合病院に最初に行っていたら、と自分の無知を後悔しました。

この時の経験が、気持ちの整理をつけていた「医師になりたい」という思いがまた芽生えるだすきっかけになったのです。

早い方がよいけど、退社する勇気がない!

母は3週間ほどで退院し、麻痺が残ってしまったのでリハビリを始めました。平日は、姉が付き添い、土日は父か私が付き添いました。リハビリは8月ぐらいまで行い、麻痺もだいぶ軽くなり日常生活が問題なく送れるまでに回復しました。

母のリハビリに付き添うたびに、医師になりたい気持ちが大きくなっていきましたが、医師になりたいといっても仕事をしているし、もうそれは無理なことと最初は考えていました。しかし、母のリハビリが終盤近くになると、再受験のことを少しずつ考えるようになってきました

仕事に不満があったら決断できたと思いますが、仕事はやりがいがあり充実していましたし、社内の人間関係も良好であったので、会社を辞めてまで医師を目指すことを決断できませんでした。仕事が忙しく落ち着いて考える時間がなかったのですが、お盆休みのまとまった休暇に、母のことは抜きにして自分がやりたい仕事は、今の仕事なのかそれとも医師なのかを考えました。

今の仕事は充実していましたが、仕事の規模が大きく自分のしたことが役にたっていると実感しにくい、喜んでいる人の顔が見えにくいということは以前から感じていました。私は、大きな歯車の一部となって見えないところの人たちのために何かをすることよりも、どちらかというと目の前の人のためになることがしたいという気持ちが、わずかだけですが大きいとわかりました。

しかし、正直にいうと出来ることなら両方やりたいというのが本音でした。それぐらい商社での仕事も続けたいと考えていたので、再受験するなら早い方がよいとわかっていましたが、退社して再受験するということは決断できませんでした
また、小さな時から現在まで歩いてきたレールを外れることに対しての怖さ、今から再受験して医学部に合格できるのかの不安も決断できなかった理由です。

勇気がないから保険をかけての受験を決意!

お盆休みに決断したことは、退社はしないで保険をかけた状態で、1回再受験に挑戦するということです。もちろん退社して半年受験勉強をした方が合格しやすいのはわかっていましたが、商社での仕事もしたい気持ち、自分の学力への不安、退社して無職になる勇気がない、などトータルで考えてその決断をしました。

まず、受験校を決めなければいけません。現在、医学部の不正入試が明るみになりましたが、私が高校生の時からそのようなことは噂されていました。不正していない可能性が高いのは旧帝国大学だけで、他の大学は国公立といえども学力以外の要素が合否に影響すると考えていました。私は当時25歳だったので学力以外のことが合否にかかわるなら自分はマイナスに働くと思い、難易度は高くなるけど旧帝国大学を目指すことに決めました。また、高校生の時のように東京にある大学で自宅から通える、ということにはこだわらず、合格しやすい旧帝国大学を選びました

仕事を辞めずに再受験を決断したときに、もうひとつ大きな決断をしました。大学時代からお付き合いをしていて、結婚を考えていた彼女と会うことを控えました。この決断は辛かったですが、彼女と会っている時間も勉強しなければ、仕事をしながらではとても合格することはできないと思ったので。この決断は、受験勉強だけを考えるとかなりプラスに働いたと思います。自分の勉強のために彼女に我慢してもらっている、と考えると仕事から帰ってきて疲れていても頑張ることができました。

 

理想と現実の違いはけっこう大きい!

運がよかったこともあり医学部に合格できましたが、医師になる前に考えていたことと実際に医師になってから経験したことには、けっこう大きな違いがありました。

嫌らしい話ですが、給料は商社にいた方がたぶん高かったのでないかと思います。仕事内容や労働環境に対して給料の安さだけではなく、医学部に合格するために勉強し、医学部入学後に勉強した時間に対して給料が安すぎると思いました。

高校生から社会人を経験しないで医師になった人は、他の会社のことは知らないのでそれほど疑問に思わないかもしれませんが、私には医師は給料のためではなくやりがいだけのためになるもの、としか今は思えません。だからやりがいを感じなくなったときには、医師を続ける理由はなくなると思っています。

国公立大学に合格して医師になるひとはまだよいのかもしれませんが、私立大学に入学し医師になる人はよく考えることをおすすめします。6年間の授業料を考えると、他の職業に就いた方がお金の面ではかなりプラスになると思うので、医師になってなにをやりたいのかが明確な人で、それに対して強い意志がある人でないと後々後悔するかもしれません。

また、医師になったからといってきちんと患者を診ることができるようになるには、長い月日が必要になります。専門にもよりますが医師になる前に自分が思っていたようなことができるようになるには、10年はかかると覚悟した方がよいでしょう。

大学病院の医局内の人間関係も普通の会社とは少し異なります。医局には独特な人間関係があるので、特に社会人を経験した人にとっては馴染みにくい環境であるかもしれません。

医師になってから色々と不満に思うことがあると思いますが、それでも医師を続けていくにはやはり強い思いが必要だと思います。医師としてやりたいことができているということに喜びを感じ、他のことで不満に思うことがあっても耐えられる強い気持ちが必要になってきます。

 

20代半ばからの受験勉強でしたことはコレだけ!

再受験を考える多くの人が不安に思うことは、はたして合格できるのかどうかでしょう。私も再受験を決断したときは、高校生のときに1度医学部受験に失敗していたので、合格できる自信はあまりありませんでした。

私は、勇気がなく働きながら再受験をしたので勉強時間は限られていました。この状況でどうすれば合格できるかを考えた結果、得点を伸ばせる可能性が高い科目を優先して勉強する、と決めました。そもそも、働いているので平日は多くても2~3時間しか勉強できません。多くの科目を勉強しても復習する時間もとれないので効率が悪いです。

勉強時間の8割は数学の勉強に充てました。数学は問題数も少なく1問正解できるかで大きな差となる科目です。合格者の平均正解数より1問多く正解できれば、他の科目で多少のマイナスがあっても大きなプラスとすることができます。9月から年末年始のまとまった休暇までは、ほとんど数学の勉強しかしませんでした。

科目別の勉強法はこの記事では省きますが、受かるための勉強をしたというです。全ての科目で合格基準点を越える必要はなく、トータルで合格できる点を取れさえすればよいのです。極端に言えば、数学と英語で満点を取れたら、理科で20~30%しか取れなくてもほとんどの国公立大学の医学部に合格できるでしょう。

 

再受験を考えている方へ

医師になるのに遅いということは決してありません。私が合格した医学部では同期に40代の人もいましたし、30代のひとも何人かいました。その人たちも今立派に医師として働いています。

再受験には、きっかけと勇気が必要です。それさえあれば、勉強は適切な勉強をすれば合格できるでしょう。医学部の入学試験で問われている能力は、生まれながらの才能が必要とされるようなものではありません。時間をかけて勉強すれば多くの人がクリアーできるような問題です。1回で合格できなかったらもう一度挑戦すればいいだけです。

また、会社を辞めて再受験を決断した人は、高校生とは覚悟が違うはずです。その覚悟はぎりぎりの時にはアドバンテージとして働くので、それほど心配せずに挑戦してみてください。

再受験に挑戦したひとが、一人でも多く合格することを祈っております。

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