私は、職を転々とした挙句に密告と吊るし上げと社長による独裁政治のはびこる回線営業会社に就職することになりました。
みなさんには、何故、そのような会社に入ってしまったのかを書いていきたいと思います。

私の通っていた大学は外国からの帰国子女が多く、私は海外留学帰りの友人ばかりと付き合っていたので、日本的な意味では世間知らずになっていました。
卒業してから仕事を探せば良いと思っていたので、ひたすら大学時代は自らの夢である格闘技と語学に明け暮れました。
私は、「新卒」が何なのかと言うハッキリとした意味すら知らずに大学を卒業しました。

しかし、後には、新卒と言う切符がそれほど意味を持つと知らずに世間に放り出された私は、面接に行く度に、「経験は?」「新卒じゃないと・・・」と言われてお祈りメールを喰らっていました。

卒業した当時は、新卒を逃したら大変なことになることなど夢にも見ないで、「俺は、東京で、プロ格闘家のライセンスを取るんだ!!」などと言って就職が決まった人たちをあざ笑うように東京に行きました。今、考えれば、就職が決まった人達からすれば、完全に意味不明だったのだと思います。

東京に出て、最初は大学院に行くつもりでしたので、全く、就職することを考えていませんでした。
しかし、大学院に受からないので、仕方なく、何でも良いから就職しよう、もしダメなら、ホストで成り上がろうなどと、意味不明な夢を持って、親にお金を出してもらい東京に来ました。

当時は、ホストのブームが、まだ、残っていた時代でしたので、ホストと言う仕事に憧れたのです。
顔が良いと言われていたので、ホストになれば、楽をして数千万稼げるなどと馬鹿な夢を見ていました。
ホストはお酒を飲むので、大変だろうと思い、出張ホストを始めました。
大学時代から、出張ホストはやっていたので、東京に来ればそれだけで生活できると思っていましたが、そんなに甘くは無く、お客もなかなか付きませんでした。
そして、泣く泣く始めた土方などを転々として、世の中の現実を見てしまいました。

当時は、仕事よりも格闘技のジム通いが優先でした。本当のことを言うと、仕事は生活費とジムの月謝を払うお金さえ貯まれば、なんでも良かったのです。

毎日の格闘技のジムの練習で体が動けない状態まで疲れていて、仕事に行きました。
自分では一生懸命のつもりでしたが、向こうからすれば、半分疲れ切った状態で、眠りながら話を聞いたりしているように見えたのでしょう。
そのため、作業場では、良く、殴られたり、怒鳴られたりしたので、怒鳴られて辞めさせられては転職し、怒鳴られて辞めさせられては転職を繰り返し、数えきれない程の転職をしました。

 

外資系社員募集中??

そんなある日、外資系社員募集と言う求人広告を見て行ってみると、始業前に大音量でダンスを踊るような会社でした。

世間知らずでしたので、「おお!!正にこれが外資系なのだろう!!」と感激しました。
今、考えれば完全に馬鹿でしたが、私の常識と言うものはその程度だったのです。

そして、「最初の二か月は固定給が出るが、三か月目からは、ボーナスで年収1000万円も夢じゃ無い!」と説明を受けて、完全歩合を承諾して就職しました。

ボーナスと言う意味は世間的に言うボーナスでは無く、完全歩合で取れた分のコミッションと言う意味だったのですが、ボーナスと言われて舞い上がりました。

「外資系に受かったよ!!」と親に電話をしました。
「ボーナスもあるの?」と親に聞かれたので、「うん!!ある!!ある!!一千万も夢じゃ無いらしい!!」と興奮して答えました。
その話しぶりから怪しいと思ったのか、「その会社は大丈夫なのか?」と親にメールをもらいましたが、「大丈夫!!先輩達は皆1000万稼いでるから!」とメールを送って親からの心配する電話にも出ませんでした。

その当時、その自称外資系会社では「営業が出来ればモテる!」と会社が煽り、トークスクリプトを教えてくれました。
今考えると、「モテる」と言う言葉で、性欲にぎらついた若者を炊きつける「営業トーク」だったのでしょう。

取りあえず、「重要なお伝えしたい要件があるので、玄関に出て来てください。」と言って玄関に出した後に、勢いでトークするような会社でした。

世間知らずでしたので、「このトークの意味はなんなのですか?」と言う様に上司に聞いても「取りあえず覚えたら良い。」と言われて覚えさせられ、そのまま何もわからずに回りますが、僅かながら勢いで件数が取れ始めたので、自分のコミュニケーション能力が上がったと思い有頂天になりました。

 

10年ぶりに出来た彼女・・・しかし、中学生のような気分で付き合い別れる

この当時、営業の勢いで路上で口説き落として、とても綺麗なモデルと兼業で風俗の仕事をしている女の子恋愛関係に陥り、仕事よりも彼女優先になっていましたので、仕事では件数が伸び悩み、格闘技のジムでは、プロのライセンスを取得したものの伸び悩んでいました。

彼女を10年近く作ったことが無く、エスコートの仕方もわからず、中学生や高校生のような気持ちで恋愛していたので、割り勘にするのが常識と思い割り勘にしたりするので、彼女の気持ちは少しずつ冷めて行きました。
そして、格闘技の試合で負けたことをきっかけに別れました。
半分鬱状態になり、実家に帰りました。それと同時に、自称外資系の回線営業も止めました。

しかし、やはり、東京で、仕事を続けて、プロで勝ちたいと思い東京に戻りました。

引っ越しや土方の仕事を転々としながら、「いつか成り上がるから、戻ってきて!!」としつこく言い寄りましたが、戻るどころか、完全に嫌われてしまい、挙句の果てには彼女の勤める風俗店に行き寄りを戻そうとするも、私のことを店員に伝えていたために、入ることが出来ずに、出入り禁止にされ、足元がふらついたまま風俗街をさまよいました。
更に、直接携帯に掛けると「あんたみたいな無職とは付き合いたくもない!!今度電話したら、こっちも、こういうお店にいるんだから、怖い人達に知り合いがあるからね!!」と言われました。

 

マスコミの仕事を募集中??

その「無職とは付き合いたくない」と言う言葉が突き刺さり、ふらふらしながらも「仕事があれば、彼女も戻るだろう・・・」と求人雑誌を探し、無料の求人雑誌を見ると、なんと「テレビ関係!!マスコミの仕事募集!!」と書いてありました。

時給も割とよく、その仕事に飛びつくように電話をしました。

「こ・・・これは、マスコミの仕事なんですか?!経験が無いけど、随分と時給が良いけど、大丈夫ですか?!」と興奮して電話しました。
そうすると、「あ・・・すいません・・・マスコミの仕事は今、ちょうど埋まったんですよ・・・営業で良ければありますから・・・」と言われました。

恐らく、マスコミの仕事と言うのは広告のうたい文句だけで、新卒でもない私は何かテレビ関係の営業部門として入れられるのだろうと覚悟しましたので、

「なんの営業ですか?」と聞きました。
「インターネットの回線営業になります。ご経験はありますか?」と言われたので、「一応はあります・・・」と答えました。
しかし、前回の失敗もあったので「あの、この営業会社は歩合制ではないですよね・・・??」と恐る恐る聞きました。
「一応、契約が取れた分には歩合は付きますけど、固定給ですから、心配しなくて大丈夫ですよ!」と言われました。

しかし、やはり、不安でしたので、「もう一度考えます。」と言って一度電話を切って、インターネットで調べました。しかし、特に評判も書いていなかったので、安心して面接を受けることにしました。当時は、新設の会社でしたからインターネットに評判が出ていないのも当然でした。

面接に行くと、やる気の無さそうな無表情な人が面接を行いました。

前職は、2か月で辞めたのですが、その職歴を引き延ばして書いておきました。そうでもしなければ、受からないことは今までの経験で身に染みていました。

 

 

面接を営業で身に付けたハッタリで乗り切る

面接はこの様な流れでした。

「前職は1年程お勤めですか?」
「はい。」
「辞められた理由は?」
「歩合制の会社でしたので、まあ、給与の変動がありますから、固定で、キチンと稼げるようにしたいな・・・と思いまして・・・歳も歳ですからね・・・一応は、かなり稼げていましたけど、契約が取れない時は取れないので・・・まあ、安定した方が自分自身の将来の為にも良いですからね!」

などと明るい表情で、もっともらしい理屈を言いました。
一応、前職の二か月の営業で、もっともらしいこと言って取り繕うスキルだけは一丁前に身に付けていました。
そう言うと、良い意味で何か気になる所があったのか採用になった場合の話をして来ました。

「うちは、歩合制では無いから、そこまで滅茶苦茶には稼げないですが、安定して稼げますよ。しかし、条件として土日祝日には冠婚葬祭以外の時は必ず出勤はしてください。それから、派遣と言う契約になります。一ヶ月ごとの更新ですが、基本的には更新します。基本的には、何もない限りは、更新されますが、正社員では無いですよ?宜しいですね?」

と言われました。
実は、当時は派遣と言う言葉の意味も、何もない限り更新すると言う深い意味も、良く分からなかったほどの世間知らずでしたが、取りあえず意味はわからないけど、返事をしました。

「ええ、大丈夫です。安定してずっと続けられそうですから魅力的ですね!」と返事して、自分の都合が良いように解釈していました。
「そうですか・・・わかりました!ところで・・・プロですか・・・凄いですね・・・うちは、格闘技やっている社員もいますよ。これから、長く付きあえそうですね!」

と言われて完全に舞い上がりました。公務員のように、安定して半永久的にこの仕事が続くと勘違いしていたのです。

実は、私以外にも、その様に解釈して「入社」してしまった他の世間知らずの新卒を逃した若い人たちが派遣社員達の中にはいましたが、この時は、期待で舞い上がり何もわかっていませんでした。
「給料が固定なら、公務員のようなものだ!」と勝手に解釈していました。

土日祝日は出来たら休みたかったのですが、「無職」と言う状態に終止符を打ちたかったので「土日も出勤OKです。」と言って承認しました。
後になって、私は土日に私的な用事が入ることが多かったので、土日が休めない部分がネックになって来るのですが、当時はどうでも良い問題でした。

無表情な面接官は「・・・じゃあ、この日までに採否をご連絡致します。お待ちください・・・」と言われたので、帰宅して、新しく移籍したジムで練習をしていました。
前のジムでは、彼女に振られた思いが蘇るので、練習をしたくなかったので、他のジムに通うことにしていました。

 

ジムで練習中に突然の採用の電話

数日後、練習中に突然電話が掛かって来ました。
今でも、その時のことは覚えております。
広いジムでしたが、時間帯によっては私以外に練習生がいないので、ジムで電話に出ました。
「今回、面接にお越しいただいてありがとうございます。今回は厳選なる選考の結果・・・」
「結果・・・」
「採用させて頂くことに決まりました!!」
その時、あたかも、新卒を逃した人間が公務員にでも合格したかのような気持ちになりました。

「ありがとうございます!!」と叫び、楽しい気持ちと勝ち誇った気持ちでジムワークを済ませ、会社が始まる日を楽しみに待っていました。

会社が始まる日に会社に行くと、「皆さんはこちらの会社からあちら側の会社に派遣されますので、今から引率します。」と言われて興奮したことを覚えています。
「よし・・・前の会社では駄目だったけど・・・俺は頑張るぞ・・・」と心に強く決めました。

 

研修が始まる

そして、研修が始まりました。

完全歩合の会社であれば研修には時給は出ませんでしたから、研修ですら時給が出ると言うのは涙が出るほど魅力的でした。

研修中は人一倍真面目に聞きましたが、若い情熱に燃えた人達と違い年配の社員の人達に情熱が無いのは不思議でした。
後から知ったのですが、理由としては、派遣と言うことでどうせ何年かしたら切られるのだろうと思っていたからでした。

ですが、私は、ある程度時給が高いこの仕事に舞い上がり情熱を燃やしました。
最初から、1ヶ月で30万円近くの給与になる高い時給の会社で働けることに喜びを感じていました。

一生懸命に研修を聞いていながらも、ノルマが無い営業と言う事に疑問を感じて、「ノルマも無くて本当に大丈夫なんですか?」と質問を投げかけたりしましたし、前の会社の勢いで販売するスタイルを主張し、それを取り入れるべきだと述べましたので、多少煙たがられましたが、それでも、大目に見てもらえました。

しかし、ある時、転機が来ました。

スーツや靴も支給されると言うので、スーツや靴を貰いに行きました。暫く悩んでいると、社長と揉め事を起こしてしまったのです。
「何故、洋服を選ぶのに、いつまでも悩んでいるんだ!」
と怒鳴られ、洋服屋の店員だろうと思った私は逆に接客がなっていない社員と思い言い合いになりました。
しかし、後にその人が社長だと言うことがわかり、上司に反省文を書かされることになりました。
そして、人間的な教育と言われて、部屋で、部長から話がありました。
「あの社長は素晴らしい人間だ!!なのに、その期待に応える人間に君はなるべきだ!!」と言い熱い言葉を聞きました。

しかし、前の会社と違い、在籍しているだけで時給が発生し、スーツももらい靴ももらえると言う事を逆に不思議に感じて怪しいと感じていた私は、「何故、やる気が無いような社員が多いのですか?この会社の利益はキチンと上がるのですか?」と質問を投げかけました。

しかし、「社長様のみんなへの愛情」などと言う雲をつかむような話をされるばかりで納得がいきませんでした。

それからは、私だけで仕事を頑張りました。私が最初に契約を上げて、自分の営業スタイルが正しい事を証明したかったのです。そして、ひたすらエリアを廻り続け、契約を取りました。

しかし、完全歩合制と違い、時給が出ると言う事は監視されると言う事でもあったのです。
目を付けた社員は徹底的に監視下に置かれました。

最初の頃はテープレコーダーをつけられ、誰と話をして、どこに行ったのかを記録され、全て筒抜けで、社員に共有され監視対象となりました。
さすがに、このやり方には私も不満を言うと、テープレコーダーを付けることは止めてもらいました。

そして、先輩派遣社員も、信頼できない状態でした。
密告が奨励されており、私に「社長はどう思う?」のように一緒に廻っている時に、話を振って来て、もし、向こうの手に乗って悪口を言うと全てを記録報告され、一年間契約の派遣社員であるリーダーに詰められました。

 

目に見えない階層組織

この会社では階層的に組織が作られており、社長、その親戚、正社員、派遣社員(1年間契約)、派遣社員(3か月契約)、派遣社員(一ヶ月契約)と言う序列でした。

その目に見えない序列で、上が下に威張ると言う図式がありました。
本来序列は無いはずの同じ派遣同士なのに、少し、契約期間が長いと言うような理由で威張っている人達がほとんどでした。
社長の訓話や食事会と言うものが度々、催され豪華な食事をして社員達を手なずけたりしました。
社長が話をするたびに拍手しなければならないので、独裁体制のようでした。

しかし、逆に言えば、楽な部分もありました。

大して契約が取れていないでも、社長の言うことに逆らわずに話を聞いていれば、エスカレーター式にある程度出世するので楽でした。

 

「働いても働かなくても給与は貰える」と言う共産主義的な独裁体制

後から知った話ですが、回線営業の大元の会社から多額の資金が出ていたので、「働いても働かなくても給与は貰える」と言う共産主義的な独裁体制を一時的にも維持することが出来たのです。

本当に一時期は公務員になったような気分でした。
働いても働かなくても高い給与はもらえて、尚且つ残業代や交通費で多額の費用が出るので、ダラダラと残業をして50万円ほど稼ぐ20代前半の若者もいました。
全く仕事をしなくても、20代前半でも、この様な高い給与が貰えたのです。
高い給与をもらっていたので、高卒にも関わらず、合コンに行って有名女子大生にモテる若者もいました。
一時的にも、公務員的と言いますか、もっと言うならば、共産主義的な「働いても働かなくても、上に逆らわず、システムに従いさえすれば多大な援助を受けられる。」会社となっていたのです。

しかも、そのぬるい中でも真面目に仕事をしていた私は社長に食事会の時に握手してもらえる程、褒め称えられました。

そして、その場で、最も会社で美人の受付の社員まで紹介されました。

会社が仕組んだようですが、その場で告白をしなかったために付きあうことはしませんでしたが、名前まで憶えられていて英雄のように褒め称えられたのは嬉しかったです。

会社に逆らいさえしなければ、成り上がれる共産主義的なコネ社会となっていたのです。

営業会社は、普通、契約を取れたものが正義で契約を取れない場合は居場所がなくなりますが、この会社では普通の営業会社の論理は無かったのです。

かつて、密告で精神がボロボロにされそうになりましたが、逆らわなければ、天国のような職場に変わりました。

相変わらず、会社に張り巡らされた社長と会社の悪口の密告だけはありましたので、そこだけは気を付けていました。
最初の頃に逆らったので、私と数人の年配社員は監視対象にされていて、全てのメールや行動はチェックされていたので、その点は気を付けていました。

私がこの会社に入って良かった点を敢えて挙げるならば、年配の社員と知り合えた事でしょうか?

 

年配の友達が出来たのは人生勉強になりました。

普通は、年功序列があるので、同じ年齢層としか友人になれない事が多いですが、この会社は特殊でしたし、派遣でしたので、様々な年齢層の人々が「兵隊」として入って来ていました。

様々なバックグランドを持つ年配の人達と対等に付きあえたのは良かったです。

年配の派遣社員の人達は人生経験が長かったので、会社の性質を見抜いていました。

この会社は、そろそろ終わる。こんな働いても働かなくても、良いような体制が日本で長く続くわけがない・・・」と教えてくれました。

 

食事が貧しくなり、やがて、会社は人を切る方向へ

恒例の会社の食事会も段々貧しくなって来ました。

「これ見ろよ・・・この貧しくなった食事・・・」年配の社員が前回と比べてお粗末になった食事を見せて私に言いましたが、会社がつぶれるとは私は思えませんでした。半永久的に繁栄すると思っていたからです。

「この会社がスーツをくれたのも、結局、関連会社のスーツを渡しただけで、要は、自分の会社のスーツを支給しただけだから恩義を感じることも無いよ。」と会社に傾倒していく私を戒めてくれたのもこの人でした。

元々、この方は大手に勤めていたのですが、退職して建設会社や不動産会社を設立したけれども、詐欺で財産を失い派遣の地位にいましたが、今までの人脈を使い会社の内部情報などを調べ上げ私に色々と教えてくれました。
50代ほどで人生経験が豊富でしたので、威張る他の社歴が長い社員や派遣社員からもおいそれと使われたりすることや馬鹿にされることは無く、論争になっても、論理的にやり込めていました。

私に取っては、後の人生で凄く役に立つ教訓をしえてくれるばかりでなく、貴重な人脈になりました。
もし、この人と大手の会社で知り合ったりしても、相手にされることは無かったでしょうし、同じ派遣社員で一緒に辛い思いをしたからこそ戦友のようになれた部分もあります。

 

突然、人を削減し始めた会社

今まで全く人を削減するこもが無くぶくぶくと太り続ける会社でしたから、恐らく、大元の会社から流れてくる金では成り立たなくなったのでしょう。

突如、「何件以上取れない場合は契約を打ち切ります!!」との通告が派遣元から全員にされました。
全員が「聞いていない!!」と言い派遣元に駆け込みましたがどうにもなりませんでした。
当時、派遣切りがニュースで丁度叫ばれた時で、「これが派遣切りか・・・」と実感しました。

 

そして、やはり潰れました・・・

その数か月後に潰れた頃には、私は既に切られてしまいました。
代わりに残ったのは、私達よりも全く件数は取れなくとも社長たちに気に入られていた人達でした。
気に入った人だけを残せば何とかなるとでも思ったのでしょうが、そう上手くは行きませんでした。

その数か月後、会社にいた人達から聞きましたが、突然、今まで、共産主義的に成り立っていたユートピアの旧ソ連が崩壊したかのようにつぶれました。

今まで外回りの営業しかした事がなかった社員も他の仕事と言う形で再雇用したようですが、やはり、勝手が違うようで、上手く行かなくなり全員いなくなってしまったようです。

 

得られた事もありました。

全てが悪いように見えた会社ですが、真面目に外回りの営業をしていれば、歩合制の会社と違い落ち着いて営業する事が出来ましたので、じっくりお客さんと向き合えて、じっくり向き合える営業スタイルが身に付きました

 

転職後に役に立ちました。

暫くは一ヶ月ほどの無職状態が続きましたが、今度は他の営業会社に入り、じっくりお客さんと向き合うと言う事が出来るようになったおかげで、以前と違いじっくりとお客さんと向き合い件数を上げることが出来ました。

最初の歩合制の会社では、どうしても単価が安いためにやっつけ仕事のような営業スタイルが重要視されましたが、落ち着いた営業スタイルを身に付けることが出来て後の人生に活かすことが出来て良かったです。

件数を取っても取らなくても、あまり言われない会社でしたが、自分の成長のために一生懸命働いたことは後の人生で他の商材を扱う営業に移っても活かすことが出来たのでそういう意味では感謝しております。

 

最後にまとめです。

今、何の仕事に就こうか迷われている人達は、取りあえず動いてみることをお勧め致します

会社は入ってみないと本当のところはわからないし、私のような職を転々とした人間だからわかることですが、面接を受けたりするなどして入社しないことには実態はわかりません。

世間で言われるホワイト企業などにも在籍したことがありますが、実態は全く違ったりしましたし、ブラックと言われている所でも自分自身と馬が合えば、案外いい企業とも言えますし、自分自身との相性と思いますので兎に角、転職や就職を考えられている方は転職サイトなどを活用して動く事です。