業務内容はwebディレクター。当初は派遣社員としての入社でした。それなりの経験年数と実績はあり正社員勤務も可能でしたが、当時は「ブラック企業」への問題意識も少なく「web業界であれば激務は当たり前」という風潮。正社員にこだわって激務が当然の中小企業よりは、コンプライアンスがしっかりした大手への派遣社員を選択しました。

 

仕事の概要と志望動機

大手企業のグループ会社で自社サイトをプランニングできることは、中小の請負web会社よりも仕事としても魅力的。雇用形態よりもスキルアップややりがいを重視していたので、派遣社員での入社を決めました。

仕事内容としては、親会社の特集サイトのディレクションほか、コンペにて官公庁のwebサイトの企画提案・プレゼン・ディレクション・取材(という名の視察旅行)などかなり魅力的な業務内容で、大変ではありましたが充実した仕事になりました。

そこまでの仕事ができるようになるまでに苦労したのは、組織内で理解を得ること。実はその会社は大手企業が、街の印刷会社を買い取って吸収合併した子会社だったのです。
しかも合併直後だったため、社員の大半は印刷会社出身。部長クラスに大手の親会社から天下りのおじさんたち。組織変更後に初めて入社したのが、派遣社員の私でした。

街の印刷会社の人々ですから、依頼された印刷物を刷って納品するという業務形態。いる社員たちは、仕事を取る営業が花形、印刷工場の技術者たちが生産を担い、事務員たちが支える…というローカル企業の雰囲気です。
企画やクリエイティブとはほど遠く、デザインらしきことを行っている数人のオペレーターがいるだけでした。

入社後に聞いた話ですが、大手の親会社で立派な実績を残し、高い役職も勤めた後、この子会社の社長に就任したT社長という方が「これからの時代、印刷だけにしがみついていては先はない」と言うと、印刷会社プロパーの叩き上げの社員たちの猛反発をくらったそうです。

T社長は新しくwebサイトの企画室を設置したかったようですが、プロパー社員を刺激する時期ではない…と考えて、「webに明るい派遣社員を入れる」という極力社内を刺激しない地味な方法でweb事業をスタートさせようと考えました。その状況で採用されたのが。私だったのです。

 

入社までの道のり・試験対策

今でこそwebやITの高時給の案件も派遣会社に多くありますが、当時はIT専門派遣も少なく、「結婚まで働けばいい女性の事務職中心」といった色合いが強かったのです。

これは今でもあると思うのですが、派遣会社のコーディネイターが新卒まもなく仕事経験が少ないため、面談やインタビューがスムーズにいきませんでした。

私の担当も若く仕事経験の少ないコーディネイターで、スキルや実績を理解してもらえず、アンマッチな仕事紹介ばかりされたり、上から目線でピントはずれのアドバイスをされていました。

派遣会社の社員にとっては「派遣スタッフは正社員になれないレベル、意識も低い」という前提でコミュニケーションをしてくるので、得意げなアドバイスも内容が薄く何も身にならない上に腹が立つ…というもので、やはり派遣ルートはあてにできないな…とあきらめかけた頃に別の担当者から連絡がありました。

大手企業のグループとなる子会社でのwebディレクター職。時給も高く、場所も人気エリアで非常に好条件だが、「求める要件が高い…というより、求められている要件が専門的でわからない」と別の担当者は、正直に伝えてくれました。

さらに仕事を探している登録スタッフでは、webディレクター経験のある該当者は私しかいなかったため「とにかく先方に面談に出向いて、私から質問してほしい」ということで、トントン拍子で面談が決まりました。

面談で同席していたのは、T社長と制作部署のK課長、そして最初の天敵となるグラフィックデザイナー上がりのO主任でした。

当日は過去に手がけたwebサイトの実績を記したポートフォリオを持って面談に。話をうかがうとまだwebの専門部署がないので、私の知見を活かして事業をスタートさせてほしいというフロンティア状態。派遣会社の担当者さんは「指示する人もいないのに、指示が明確じゃない中で仕事をするのは大丈夫か?」と心配していましたが、私はタイプ的に「言われたことをその通りに作業する」ことが苦手で、「目的・課題を明確にして、自分なりに工夫をして成果を出す」といった仕事の方が得意だったのでおあつらえ向きでした。
本来、私は派遣に向かないタイプかもしれません。この会社と出会えたのがラッキーでした。

T社長は50代でしたが、スマートな紳士という印象で頭の切れる方というのが伝わってきました。K課長は親しみやすく、話のわかる優しい上司といったイメージのアラフォー。一番年齢が近そうなO主任は、批判的なうがった質問も多く暗そうでよい印象ではありませんでした。職種も私と被っているので歓迎されていなかったと思います。
そして、その第一印象はすべて当たっていたことが入社後にわかります。

採用の連絡をもらって、ほとんど異存はないけれど、O主任の態度が気になっている。彼の部下という形になるようなら辞退したい…と正直に派遣会社に伝えました。
すると、私の配属は、新しく立ち上げた部署になるのでO主任は直属の上司になることはなく、指揮命令者はK課長とのことでしたので入社を決意しました。
後でほかの社員から聞いたのですが、T社長とK課長は私の入社に賛成でしたが、O主任ひとりが大反対で不採用にしたがっていたそうです。

少し懸念はあったものの、待遇も業務内容も理想的な仕事が見つかり、ほっとしていました。

 

入社後の試練を越え、味方が増えて社員、管理職になるまで

 最初の理解者は営業チーム

さてスタートしたばかりのweb企画室に配属された私は、思いもよらない反発を受けることになります。

もとが街の印刷屋さんとしてのんびり働いてきた社員が多いので、いい人たちではあるけれど、反面「理解できないものに拒否反応を示す」という性質があまりにも強いのです。

また、web事業強化という方針に「自分たちがこれまで頑張ってきた印刷業を時代遅れとして否定している」と取られて、T社長や私に嫌悪感をあらわにする人々もいました。

生産現場の人よりも、O主任とオペレーターチームの人たちから特に否定的な態度を取られたのがショックでした。紙媒体とwebの違いはあっても、クリエイティブという点でわかりあえると思っていたからです。

その中で最初に理解者で味方になってくれたのが、意外にも営業チームの人々でした。特に親会社直轄の営業チームよりも、外部のクライアント専門の営業チームの人たちです。

同じ営業でも親会社からいつもの仕事を当たり前のようにもらうチームと、外部のクライアントに真剣勝負で提案・交渉をする営業活動をしているチームでは、後者の方がずっと現実を理解していたのでしょう。

「印刷だけにしがみついても未来はない」

T社長のこの言葉を、外部の営業チームは身にしみてわかっていたんだと思います。

最初に私に声をかけてくれたのは、営業のYくんです。
新卒入社組でまだ三年目の若手営業マンであるYくんは、クライアントに営業しても「印刷を刷るだけならネット注文で十分。提案はないの? Webはできないの?」と門前払いが続き、営業成績が伸び悩んで上司である営業のS課長に詰められている日々でした。
後にこの営業のS課長も、私に大きなチャンスをくれることになります。

Yくんから「今までオーダー通りの印刷の依頼を受けて、納品することしかやっていない。提案といってもどうすればいいかわからないから同行して欲しい」という相談を受けました。

まずそのクライアントの担当者に会って課題をヒアリングしたいと考え、Yくんに同行して客先を訪問する許可を上司に求めました。
大反対したのはO主任です。「派遣を客先に出すなんてありえない!」という言い分。ところが指揮命令者であるK課長も、営業のS課長も、そしてトップのT社長も快諾してくれたため、Yくんに同行し初めて客先を訪問することになりました。

訪問したクライアントはエネルギー関連の会社でしたが、斜陽産業で今後の需要は減ることが必然。今のうちに業態転換を見据えたサービスへと軸を切り替える…そのためにターゲットとなる家庭の主婦とのパイプづくりをしたいとの明確な課題を持っていました。

それしか教わっていなかったのだからYくんが悪いわけではないのですが、ここまでの問題意識を明確に持っているクライアントに「何か印刷物を刷らせてください」と営業するだけでは門前払いだっただろうと思います。

各家庭の主婦を訪問するという今までのルーティンを活かして、家事代行サービス、住まいのリフォーム、水回りの修理業務を行っていきたいとのこと。各家庭をまわる時に配達員が新サービスのチラシを渡すフローにしているが、反響はまったくない。そもそも配達員がきちんと渡しているのかも疑問とのことでした。

そこで提案したのは「受け取ってもらえず、捨てられるチラシ」ではなく、主婦が楽しんで読める冊子の会報誌と連動したweb情報サイトです。

サービスだけを宣伝するのではなく、住まいや料理、子育て、家族のおでかけスポットなど、主婦のみなさんが読んでくれる記事があり、自然に新サービスを紹介するものを提案しました。
その提案はクライアントに喜んでもらえて、Yくんと私の初の大型受注となりました。

 

webを知らないグラフィックデザイナーが神様扱い

新規の大型受注が社内で歓迎されるかと思えば…、決してそうではありませんでした。

Yくんのチームリーダーの営業主任は企画から提案する仕事を手がけたことがなく、すべて原稿やデータをもらって印刷するという業務を請け負うことしか知らない人でした。
そのため、クライアントから原稿やデータをもらわず、すぐに印刷できない状態だと知り、「怠慢だ。仕事ができていない」とお説教をはじめました。
「企画提案から行う業務は、そういうものではない」ということを説明しても聞く耳を持ちません。

また、オペレーターの女性たちはいつものパンフレットをベースに写真やテキストを差し替える業務に慣れています。自由にデザインできる案件を喜んでもらえると思ったら「よくわからない仕事は迷惑。お給料は変わらないのだから、考える仕事はやりたくない」と反発されました。

オペレーターリーダーのNちゃんとは後に「親友」と呼べる間柄になるのですが、この時点では険悪でした。
「派遣が来る」と知らされていたため、当初は共有のパソコンしか使わせてもらえなかった私に「共有のパソコンを占領されると困る」とNちゃんからクレームをつけられていたのです。
ですが、それがきっかけで私専用のパソコンが支給されたので、助かる出来事ではありました。

また、交代で早出出勤をして掃除当番をしていたのですが、私は派遣契約の関係で掃除当番には入っていませんでした。その分の時給がかかるため、むしろ「やらなくていい」という指示でした。
Nちゃんはその勤務形態の違いを知らないため、私に「あなただけ掃除をしないのはおかしい」と言ってきました。私が経緯を話すと「じゃああなたのスペースだけは掃除をしない」と、オペレーターチームのメンバーが掃除当番の日は私の机やロッカーなどの固有スペースのみ、掃除をしなかったようです。

気分がいいことではありませんでしたが、自分で机を拭けばいいだけで、たいしたことではないのでスルーしていました。

一番困ったのはO主任です。彼はグラフィックデザイナー出身のディレクターですが、社内には今までクリエイティブのプロが彼ひとりしかいなかったため、他の社員から「クリエイティブならO主任が正しいに決まっている」とスキルに見合わない神様扱いをされていました。

O主任は外注デザイナーに対しても要件定義もせずに「とにかく叩きを適当に作ってよ」と発注し、上がったものを気まぐれで赤入れをして何度も直させるというディレクターとは呼べない仕事の回し方をしていました。

webの知見はまったくないO主任でしたが、webサイトのUI/UXも紙のデザインと同じ感覚でびっしりと赤入れをしてレイアウトを直させようとします。それで良くなるのであれば、感情は抜きにしてO主任の意見を取り入れるのですが、webのナビゲーションやインターフェイスとしてはあり得ないレベルだったため、彼と意見を戦わせることになってしまいました。

その時の周囲は「派遣よりもデザインの神様のO主任の方が正しいに決まっている」…そういう声に何度も押しつぶされそうになりましたが、クライアントのビジネスのために成果を上げることを最優先にして、無事に納品となりました。

クライアントにも気に入っていただけて、新サービスも好調。会報誌は季刊でレギュラー継続が決まり、webサイトの運営と追加コンテンツも受注できました。

何よりうれしかったのは、この案件でコツをつかんだのか、伸び悩んでいたYくんがご用聞きタイプの営業からコンサルティング力をつけ、次々と提案型のweb案件を受注するようになったことでした。

 

 官公庁のプレゼンとコンペ初受注

そのYくんの成長を見ていたのか、営業のS課長から「行政のwebサイトコンペのプレゼンをやってみないか」とお誘いを受けました。

対面のクライアントへの企画提案やwebディレクションは慣れていましたが、数社コンペのプレゼンは経験がありませんでした。ましてや官公庁での入札なんて、私でいいのだろうか…とさすがに不安でした。

S課長は「Yからいろいろ聞いているよ。君ならできるよ」と太鼓判を押してくれました。S課長は高卒の叩き上げで勤続20年以上。大卒の同年齢の人たちに先を越されながら、がむしゃらに営業成績を上げてきた人です。その数年後、私が退職してから聞いたのですが、天下り組以外では初めて部長に就任されたそうです。S課長ご自身がどんなに結果を出しても、学歴で判断されて悔しい思いをしてきたからこそ、私を「派遣」というレッテルではなく業務を見てくれていたのです。

T社長、S課長率いる営業チームも含めたプロジェクトチームでブレストを行い、私が企画書を作成。関係のしっくりいっていないオペレーターチームに渋々デザイン見本を作ってもらい、私はプレゼンのロープレを日々重ねました。

企画書や書類の提出による審査も無事通り、コンペ当日を待つばかり。

前日には自宅で両親を相手に、プレゼンのロープレを行いました。実はこの時に両親が「カタカナと専門用語が多くてよくわからない」と言われたことで、思ったより年配の方々が多かった官公庁の方々へのプレゼンをブラッシュアップすることができたのです。

コンペ当日。競合はなんと11社。どのライバル企業も蒼々たる布陣です。メインでプレゼンをする中で若い女性は私だけ。他社は貫禄のある男性がプレゼンターで女性がいる場合は、プレゼンのアシストとして同行していました。
その中で私が挨拶をしただけで注目されました。同じ要件に対して11社ものプレゼンを一日聞いている状態の中、この状況は私に有利に働きました。

目の前には父親以上の年代の方も含めて10人くらいの官公庁の人たちが座っていましたが、ロープレを何度も重ねたおかげで堂々と話すことができました。スライドも自身で作成しているのでスムーズに説明できます。さらに、聞いている人たちの表情を見て、「ここは詳しく説明した方がいい」「ここはクドくならないように、さらっと流した方がいい」とコントロールする余裕すら出てきていたのです。

いくつか頂いた質問も粗をつくものではなく、前向きに興味を持って「もっと詳しい聞かせてほしい」といったニュアンスだったので、ほっとしました。
プレゼンを終える頃には、最初は難しい顔をしていた官公庁の人たちも、ソフトな表情になっていて、手応えを感じていました。

結果は11社中2位。受注には至りませんでしたが、社内では大健闘という評価でした。

その後、S課長のもとに官公庁の担当者から「プレゼンした女の子がすごいねと話題でしたよ。企画書もレベルが高くわかりやすかったです。今回は企画内容が近くて実績と媒体ルートも豊富な●●社さんにお願いすることになりましたが、次回ぜひ期待しています」と連絡がありました。

この一件をきっかけに、社内での私への態度や評価は一変しました。O主任も気分がよくはなかったと思いますが、表立ってはもう私に何も言ってこなくなりました。私の方から用事があって話しかけても、下を向いて「はい、はい」と敬語で答え、すぐに逃げ出してしまいます。

このことで悟ったのは、大半の人が見るのは「仕事内容・能力」そのものではなく、「権威のあるものにどれだけ評価されたか」「どれだけ万人が認める肩書きを持っているか」です。

「派遣」の私と「そこに一人しかいないクリエイティブのプロ」と思われているO主任。高卒で0からクライアントを開拓し営業成績を上げているS課長と、大卒で向こうからやってくるルーティンの仕事をこなしている別の営業課長。人は業務内容や実績、結果をほとんど見ません。

結果」、「実力」を認めてもらうためには、権威的な何かから評価を受けるステップを踏まなくてはスタートラインに立てないのです。もちろん経営者視点を持ちアグレッシブで優秀な人が集まるベンチャー企業であれば別ですが、安定を重視している人たちが集まる組織では「仕事の中身」を判断することができないとわかりました。悪気はなくとも「何かの権威」「肩書き」でしか判断がつかないのが実際のようです。

ここで初めて、「ブラック企業」であった前職のベンチャー企業のいいところがわかりました。

ただ周りの風当たりが弱くなり、味方が増えたのはいいことです。印刷の一件で衝突したYくんの先輩である営業のチームリーダーも、本来頭のいい人なので「印刷を請け負う」のとはまったく違う「企画から手がけるプロジェクト」というものであったとわかってくれれば、理解者の一人になってくれました。

次のプレゼンでは皆さんの協力もあり、前回以上の競合13社の中で無事受注。新たな実績としても売上げとしても、会社に貢献することができました。

 

オペレーターのNちゃんと親友に

周囲の見る目や態度がソフトになっても、オペレーターリーダーのNちゃんだけは以前のままの頑な態度でした。

オペレーターチームの若いメンバーとはトイレや休憩室で会った時などにあたりさわりのないテレビやファッションの女子トークをして、かなり打ち解けていましたが、Nちゃんだけは険悪なままでした。

そのNちゃんとの関係性が一変する出来事がありました。

私がコンペで受注した案件で、プレゼンの見本となるデザインをしてくれたNちゃんに引き続きデザインを担当してほしいと持ちかけた時です。Nちゃんはとても驚いていました。私は何を驚くのかわからなかったため、彼女に話を聞きました。

傍目でも決して仲が良いとは言いがたい私とNちゃんが連れ立ってランチに行く様子は、社内を騒然とさせたようです。「けんかになるんじゃないか?」、「 誰か様子を見に行った方がいいんじゃないか?」、そんな会話が交わされていたそうです。

Nちゃんに話を聞くと、今まで売上げにならないプレゼン用のデザイン見本だけを作らされ、いざ受注したら外注のデザイナーに依頼されてしまっていたこと。なのに、売上げと時間数だけで評価をされてしまうので、無償のプレゼン案件を避けるO主任から不公平な業務を振り分けられていること。

うまくいった案件は「僕の指示がなきゃ彼女たちにはできませんでした」とO主任が上に報告し、O主任の指示通りにやったのに「僕が見ていないところで彼女たちが勝手にやってしました」とO主任の二枚舌で悔しい思いをしてきたことも聞きました。

また、Nちゃんは大手に吸収合併される前の印刷会社のアットホームな社風が好きだったので、大手から天下りの社長や役員がたくさん来て、会社の雰囲気がどんどん変わることにも抵抗を感じていたそうです。
企業は生き物なので、Nちゃんの思い通りにはならないものですが、短大を出て10年近くもアットホームな会社で安心して働いてきた彼女。そのとまどいはわからないではなかったです。

彼女は私に「誤解をしていた」と謝ってくれて、改めて「一緒にいい仕事をしよう」と和解しました。

その後、Nちゃんとのコンビで、一緒に取材旅行に行ったり、プランニングやプレゼン、制作、納品までを二人三脚でいろんな仕事を手がけました。
さらに、最初の険悪ぶりを忘れてしまうかのように、プライベートでも遊ぶほどの「親友」と呼べる間柄になったのです。

その後、Nちゃんは結婚して出産を期に退職しましたが、社内オペレーターにとどまらない「クライアント折衝もできるデザイナー」というスキルを身につけていました。
彼女はお子さんが幼稚園に行くようになると別の会社に再就職し、時短でも重要なポジションで活躍しているようです。

 

 派遣というだけで切られる危機を救ってくれた仲間たち

私も「派遣」という立場を忘れて、意欲的にどんどん新しい仕事にチャレンジしてたある日。親会社から天下りした新しい人事部長が来ました。

まだ50前で親会社から来たということは、あまり評価をされていなかった部長と推測できました。定年前ならともかく、その部長には「結果を出さなければ後がない」と思っていたことでしょう。

バックオフィスの「結果」とは固定費を削減することです。一番手をつけやすいのは人件費でした。人事部長は当然、派遣の私が社員よりも給料が高いことに一番に目をつけ、即刻私の契約満了を派遣会社に連絡してきました。

人事部長は私の業務内容も貢献度も知らずに、従来通りの「誰かの指示で作業をする派遣」と思っていたので、時給の高さに「非常識だ」とクレームをつけてきたほどでした。

私は直属のK課長に相談したところ、まったく聞いていないとのことだったので「部長は飛び越えてT社長に聞いてみる」と言ってくれたのです。T社長も知らない話でした。人事部長からすると派遣ひとりの契約で、忙しい社長に報告することはないと思っていたようです。

私は派遣と言えども、T社長直々の採用であり、立ち上げた新規のweb企画室を軌道に乗せて売上げを出した実績がある…と管理職の皆さんが言ってくれました。
ところが、人事部長は天下り早々で自分の沽券に関わると思ったのか、意固地に「人事部長の人事権をかけて私の契約を満了する」と聞きません。派遣ひとりにそこまで…と逆にこっちが思ったものです。

その話を聞いて、S課長やYくんなど、営業チームのみんなやNちゃんとオペレーターチーム、他にも一緒に仕事をした社内のメンバーが、私のことを「辞めさせないでほしい」と直訴してくれたそうです。

「派遣の人件費を削減する」と譲らない人事部長に、T社長が「じゃあ彼女を社員にすればいい。その評価に値する実績を出してくれているじゃないか。今彼女を退職させると、また印刷案件を待つだけの未来のない会社になる」そういってくれたそうです。

こうして人事部長に目をつけられたおかげ(?)で、私は派遣から社員になることができました。Nちゃんの共有パソコンの時もそうでしたが、「逆風転じて福となる」という事態は往々にして起こるようです。

その後、年度末決算でweb事業部関連の売上げがかなり伸びたということが評価されて、web企画室は組織図に載る正式な部署となりました(…それまで載っていなかったという事実)。

新設「web企画室」は、部長クラスを介さずT社長の直轄。私が課長クラスのマネージャーとして就任することになりました。なぜマネージャーという役職名かと言うと、T社長と飲み会の席で「課長を目指して頑張れよ」と言われた時に「課長っておじさんみたい。もっとかっこいい役職がいいです」とジョークで返して、その時は笑いを取って終わったのですが、T社長は真剣に私の意向を受け入れてくれたようです。

webデザイナーやコーダーも採用し、マネージャーの私とメンバー6名の部署として「web企画室」が設立されました。

その後、「webサイトは作るだけじゃもう時代遅れ。マーケティングコンサルができないと…」という流れになり、デジャヴを感じながら耐性があったので、それも乗り越えて新たなスキルを獲得し、個人事業主として独立するまで勤め上げました。

 

この仕事に就いてよかったか

最初は周囲の業務理解が得られなかったり、派遣というレッテルで見られながら、求められていることは社員以上なので大変でした。ですが、この仕事に出会えて本当によかったと思っています。

この仕事で得られたものはたくさんありました。

  • 「派遣」という入り口でなければ、新卒以外で大手グループの企業に勤めることは難しいと思います。ですが、派遣であれば比較的間口は広いです。
  • 私の場合は子会社でしたが、親会社が業界トップのナショナル企業だったため、普通の請負い会社では経験できない業務にたくさん携わることができました。
  • 派遣である以上、大手の安定をメリットとして受けることはできないですが、大手企業組織の肌感覚を身につけたり、予算をかけた大きいプロジェクトなどを社内という立場から手がけられるのは貴重な経験となります。
  • とてもレアケースだと思いますが、結果を出せば、私のように派遣から社員、社員から管理職になる可能性も0ではないと思います。

最初は理解を得られなかった社員たちと、どうして最後は仲間になれたのか…。一番は基本的に社員たちが「いい人だった」ことが挙げられます。「未知のものに抵抗感を示す」という特性はあっても、ギラギラしたところがなく、人をけおとすという意識もなく、穏やかに過ごしたいという人たちでした。

ただ、その中でどうして私が仲間として受け入れられていったのかは、

  • 「何か面白そうなことをやっている」と見てもらえたことと
  • Yくん、Nちゃんなど、印刷会社プロパーの若手メンバーと組んで挑戦していったこと

で「仲間意識」を持つようになってくれたんだと思います。

また、入社当初に時代背景だった「印刷物を刷るだけでは時代遅れ。提案型でWebサイトも総合的にできないと…」が、数年後には「webサイトを作るだけの会社はたくさんある。自社サイト流入や会員登録、コンバージョンを上げるwebマーケティングの提案ができないと…」に置き換わっていました。
まったく逆の立場に立たされたのですが、一度、その変化を見ていたため、業界の変化とトレンドに対応して「何を勉強して、何を武器にしていけばいいか」の切り替えを早くできるようになりました。

「時代に取り残されず、今のニーズをつかむ」意識を形づくったのは、この会社での経験が生きています。

 

業界希望者へのアドバイス

新卒や転職エージェント経由での転職希望者の方にお伝えしたいこととして、web関連の上流工程の職種は、ディレクター、プロデューサー、マーケッター、最近聞きませんがグロースハッカーなど、多種多様です。

どの職種を名乗っていても、またどの職種で求人募集をしていても、そこで何を求められるかはさまざまです。

  • 大規模サイトを進行管理してほしい
  • アクセスやコンバージョンを上げるwebサイトへと改善提案してほしい
  • 日々更新が必要なECサイトを管理してほしい
  • 新規ブランドサイトを企画から運営までやってほしい
  • キャンペーンサイトを短納期で作ってほしい

一例を上げましたが、webディレクターへの依頼や求める要件は多彩。

Webディレクターは、ワイヤーフレームと仕様書が書けること、最低限のデザイン、HTML、CSSへの知識やwebマーケティングのノウハウは必須ですが、それ以上は求められている要件によって、重視される経験、実績、スキルはさまざまです。

もちろんwebの知識を磨くことはベースとして、それ以上に大切なのは「クライアントから課題を引き出すヒアリング能力」と大規模案件であるほど「いろんなタイプのクリエイター、エンジニアの特性を活かすキャスティング力」ではないでしょうか。

結局は「人」と仕事をするというのが原点です。
商業用のWebサイトは企業のビジネスを促進させるためにあり、クライアントの「やりたいことを実現する」か「お悩みを解決する」かどちらかにつながらないと満足はしてもらえません。

デザイナーであれば「創ること」を一番のモチベーションにしてもよいと思いますが、ディレクターは「クライアントのビジネスを向上させる。そのためのツールがwebサイト」という意識で人そしてビジネスと向き合うことが大切だと思います。