大企業の研究職としての体験!何故転職をすることに?

研究職
ここからは、大企業、大学、中小企業、ベンチャー企業という様々な組織の研究職として転職を繰り返しながら体験した出来事をご紹介させていただきます。

先に企業の研究職としての心構えや転職を考える前になすべきことなどを紹介した人間が3度も転職していることを「どうして?」と思われるかもしれませんが、先のお話は多種類の職場での体験によって得られた結論であって、一朝一夕で「企業の研究職はかくあるべき」という結論に到達したわけではありません。

一つ一つの出来事を思い起こせば、「あの時、今の考え方ができれば、今とは違う研究者としての人生を歩んでいたかもしれない」と思う次第です。

今となっては後の祭りかもしれませんが、この体験を読んでいただくことでご自身の状況と照らし合わせて正しい選択をするための参考になれば幸いです。

 

初めての企業の研究職!

博士課程の3年間が終了する前年の学会でお会いした先輩から就職のことを聞かれたのが、博士の学位の見通しも立っていない私を雇ってくれた以下の大企業との出会いです。

バイオテクノロジーを駆使して日本の健康産業を牽引している大企業です。製造販売している商品は健康食品、化粧品、医薬品など、およそ、バイオテクノロジーが関係しそうな製品が網羅されており、その名前を知らない人はいないといっても過言ではありません。
そして、それらの商品の素材開発と利用を研究するのが中央研究所と呼ばれる研究施設であり、多数の研究者が在籍し、基礎から応用に至る数えきれない数の研究に従事していました。
その会社を仮にA社と呼びますが、多数の研究者が在籍するA社の研究所ではありましたが、遺伝、免疫、微生物といった基礎研究の研究者の数が非常に多く、バイオの応用研究に関する研究者の割合が少なかったというのが私を勧誘する理由であったと聞いています。

当時、A社では国から予算をもらった産学連携のプロジェクトが進行しており、A社は大学を中心に行われた基礎研究をもとに産業化するための応用研究を行う担当で、その先には、産業化するためのプラントの建設まで視野に入れられていたそうです。
ラボでの成果を大きなプラントで実現するためには、実験室で行われているような小さなスケールでの生産条件を大きなスケールにするためのスケールアップと呼ばれる分野の知識が必要になります。

基礎研究の分野では日本でも有数のA社ではありましたが、応用研究、特に、スケールアップという領域における知識が豊富な研究者は少なかった、というか、居なかったために新規の研究者を迎え入れる必要があり、 「誰かスケールアップを任せられる人はいないか?」と打診されたA社に所属していた研究室の先輩が、私に声をかけたというわけです。

 

バイオブームの真っ盛りの時代では発酵生産やスケールアップはマイナーな領域!

私が修士課程、博士課程で行っていた研究というのが、「微生物の培養液が発酵槽と呼ばれる培養装置の中でどのように流動しているのか?」、「それが微生物の物質生産にどのように影響しているのか?」を調べて、産業用の大きなプラントでラボの結果に近い状態を実現するための設計因子を予測するといった内容の研究でした。

私が大学に入学したころはバイオという言葉すら認知されていないような時代でしたが、学部を卒業するころにはバイオブームが訪れており、遺伝子や酵素などの基礎分野が花形として人気を博していました。
日本中の大学で似たような状況になっていましたので、泥臭くて地味な微生物培養やラボの結果を大きなスケールで行うときに重要な影響因子を探索するような発酵生産やスケールアップと呼ばれる分野を選ぶ人間は少なく、ましてや、その分野を博士課程まで極めようという学生は国内でも数えるほどしかいなかったというのが当時の状況です。

当時、博士の学位を取得しても就職先が見つからず、かといって、狭き門である大学教官への道も無く、収入のない状態のオーバードクターがニュースになるような時代でしたので、まさに、バイオブームの中でニッチな分野を専門としたことが幸いしました。

さて、そんなに期待された採用であったにも関わらず、一つの出来事がA社の研究所内での私の居場所をなくし、転職するような事態になってしまいます。
A社から就職の打診があったことを教授に話した際に「あんな会社に行くのか?それでよいのか?」と言われ、就職できそうな会社が見つかった喜びで深く考えませんでしたが、後々その言葉の意味を理解することになるというわけです。

 

産学連携プロジェクトの中止で行き場がなくなる!

プロジェクトを遂行するために必要な人材として招聘されたような形で入社した会社でしたが、プロジェクトが中止になることによって研究職としての私の運命が大きく変わることになります。
とはいえ、研究が打ち切りになるというのは企業の研究者にとって有り得ないことではないということは認識していましたし、そのことが直接転職するきっかけとなったわけではありません。

博士課程の3年を経過した段階で必要単位は取れていましたが、投稿論文というノルマと博士論文が未完成の状態でしたので、出向という扱いで残りの研究と論文作成を大学で行っていたため、半年遅れて研究所への配属となりました。
特別扱いされていると思われていたのかどうかまでは分かりませんが、何となく風当たりがきついような感覚はありました。そんな雰囲気の中、企業の研究者としての生活がスタートしました。

とりあえずは、研究室になれるために既存の研究の分析を手伝ったり研究内容の話を聞かせたいただいたりしながら数か月が過ぎましたが、プロジェクトの話は一向に出てきません。
「別の人がやっていたのか?」、「思っていたように進んでいないのか?」など一切分からないままに、風のうわさでプロジェクトが中止になったことが耳に入ってきました。
もちろん、中止になった時期や理由は聞かされておりませんし、プロジェクトの内容については話すら聞かないノータッチの状態でしたので、怖くて聞くこともできませんでした。

そんな状況の中、直接の上司である課長から「何をしてもらおうかなぁ?」と言われました。

課長にしてみたら、どんなことをしてもらうという目的もないまま、博士を取得している扱いにくい新入社員を押し付けられたみたいな状態だったのかもしれません。
そして、企業の研究者として初めて会社(課長?)から与えられた研究テーマというのが、培養液から作られた粉末を錠剤化する仕事でした。

 

大学で勉強したことを活かせない仕事に着手!

A社では昔にも製造されてくる粉末を錠剤化する、あるいは、錠剤化できる粉末を製造するという研究に取り組んだことはあるそうですが、結局は未解決のままということで、錠剤化できる粉末が造れるか否かは成り行き任せになっているということでした。

粉末の錠剤化というのは大学で勉強してきたこととは全く関係がない知識と情報を必要とする仕事で、ゼロから勉強する必要があり会社の図書室で調べたり、近隣の専門分野の方からいろいろ教えてもらうということから始めました。

大学でやってきたことを活かせないことに不満が無かったとは言いませんが、当時から「誰もできないことを論理的に解明してできるようにすることが研究の醍醐味」という考えは持っていましたので、新鮮な気持ちで取り組むことはできていたと思っています。僅かに関係しているとすれば、対象となる粉末が微生物の培養液から得られた細胞を粉末化するということぐらいでした

医薬品はもとより、世の中に錠剤化している食品などもありましたが、いろいろ調べているうちに錠剤化する際のトラブルがいくつか見えてくるようになり、その背景には科学的な裏付けがあるわけではなくほとんどが経験に基づくものであるということがわかってきました。

粉末から錠剤をつくる錠剤成型試験機が粉末製造工場にありましたので、出社して朝の挨拶を済ませるや否や製造工場に行き異なるロットの粉末で錠剤をつくることに没頭するという日が何日も続きました。

確かに、錠剤になる粉末とならない粉末があり作った錠剤を見ながら頭を抱えていると、長年その工場で働いている方が現れ袋の上から粉末を触っただけで錠剤になる粉末とならない粉末を見分けて、「理屈は分からないが、こんなことはだいぶ前から分かっていることだ」と言われました。

流行りのドラマの「事件は現場で起きている」という名台詞ではありませんが、まさしく、答えは現場にありました。

退職した会社の研究内容に関わることですので詳細はお話しできませんが、それまでに読んだ専門書の内容に照らし合わせ現場の人の話を科学的に裏付けするのにそんなに時間はかかりませんでした。
自分が出したデータと過去に行われた研究のデータも見直して、半年後には自由に錠剤をつくることができるようになっていました。

結果を報告書にまとめて課長に提出したところ、しばらくして、課長とともに役員室に呼ばれヒアリングを受けることになりました。

古い話なので詳細は忘れましたが、「そんな短期間でできるわけがない」と言われたことは明確に覚えています。
そして、それに対して、あろうことか、「結論にたどり着いたデータは過去に行われた実験によるものがほとんどで、視点を変えてみただけです。データから結果が出ているのにそんな風に考えているから結果が見えなかっただけです」と答えていました。
実は、その取締役が過去にその研究に着手していた研究者と同一人物であるということは聞いており、同席した課長が慌てていたことが印象に残っています。

今の私ならばそんなことを言うなんてことはありませんが、若気の至りというか、研究者という自負が そうさせたのかもしれません。その件については、私を採用した研究所の所長がフォローしてくれたらしくお咎めはありませんでしたが、その日のうちに「役員相手に役員室で演説をした新入社員」ということで研究所中に広まっていました。
そして、その出来事のためかどうかは分かりませんが、メインの研究から少しずつ外れて面倒な仕事が回されるようになったような気がします。
そうこうするうちに、次に回ってきた仕事というのが微生物を培養する研究ですが、特定の設備を使うことにメリットがあるかどうかを検討する仕事でした。

 

微生物の培養試験での一波乱!

このお話も錠剤化の時と同じで詳細はお話しできませんが、ある装置を使った微生物培養実験の結果がさらなる波乱となり、それがもとでA社を退職することになってしまいました。

研究テーマが変わるだけで、新しいことに着手し未知の結果を引き出す研究心に反することではありませんでしたし、これまでやってきた微生物の培養に関わる部分でもありますので、むしろ、錠剤化よりはやる気があったように思います。

研究の経過を書くわけにはいきませんが、得られた結論をかいつまんで書くと以下の通りです。

その装置を使うことで目的とする微生物の濃度を高めることはできますが、使用した原材料の量が多くなるため効率が悪いことに加えて、産業レベルで製造する、いわゆる、スケールアップするためにかかるコスト、想定される製造時のトラブルなどいろいろなことを考慮すると、その装置を使って微生物を製造するよりは現状の方法で製造した方がメリットがある。
この内容を報告書にまとめて課長に提出しましたが、これをきっかけに私が暴挙に出るという顛末を迎えることになりました。

 

結果が改竄されているのでは?

どのような経緯でその装置を試験してみることになったのかは聞いていませんが、某部長が「そんな装置があるのならうちの研究所で試験してみようか?」といった具合に安請け合いしてきたようなお話であったようなことは聞いていました。

そして、直属の上司である課長に報告書を提出すると、「装置を使うメリットがない」という結論は困ると言われました。
もしかすると某部長と装置を造っている会社の方との間に何らかの困るようなやり取りがあったのかもしれませんが、そんなことには興味もないし、知ったことではありません。
書き直すように言われましたが、嘘は書けないのでそれは無理ですと断りました。

ところが、数日後に課長の上司である部長と同席する機会があり、部長から研究が上手くいっているような話がでて、さらに頑張るように励ましの言葉をいただくという事件が起きました。

「あれっ?メリットがないという結論なのに、部長は何故うまくいっていると思っているのか?」という疑問が頭に浮かんだ私は、課長から部長に出された報告書と私が課長に提出した報告書の内容が違うのではないかという推測にたどり着きました。

A社の研究所では、当時は直属の上司を介さずに部長に仕事の報告をすることはできない規則(慣例?)になっていましたが、疑問が頭から離れない私は課長に内緒で部長を訪問し、報告書の内容を聞くことにしました。
案の定、部長には目的とする微生物濃度が上昇することだけが伝えられていたようで、装置を使うメリットがないという部分は誤魔化されていたみたいです。

そのとき、部長からは話の内容はよく分かったということでしたが、規則違反は別問題であるような話もされたように思います。
そして、規則違反であることは承知の上で部長に進言していることを伝え、「部長が忙しいということは分かっているつもりですが、その分給料が高いのであって、自分の部下が困っていることも把握できなくて何が部長ですか?」みたいな言わなくても良いことを付け加えたように記憶しています。

部長は非常に理解のある人で、私の進言を受け入れ、結果の報告などを実際に研究している人に直接聞くように心がけるというように言っていただきましたが、その話もすぐに研究所内に広まりました。同じような問題を抱えていた若い研究者の方からは賛辞を受けましたが、私をA社に誘った先輩からは「出る杭は打たれる」と言われました。

今にして思えば、もう少し時間をかけてしっかり根回しするなどの対策を考えてから行動すれば、退職することなく円満に解決することができたのかもしれません。

しかし、規則違反を知った上でとった行動と部長に対する発言なども含めて退職は覚悟の上でしたことであり、引っ込みがつかなくなったということもあり、A社を退職することになりました。
ただ、同じように思っている若い研究者がいたことは救いでしたし、先の粉末の錠剤化でお世話になった工場の方やほとんど話したこともない若い研究者の方、さらには、暴言を吐いてしまった部長など多くの方が集まり送別会を開いてくれたのはうれしかったです。

退職を決断する場合には、次の会社、すなわち、転職先を見つけてから退職するというのが普通ですが、私の場合には、このドタバタがある前に「大学の先生になる気はないか?」という打診を受けていました。もちろん、その話が出たときには退職することなどかけらも考えていなかったので笑い話でしたが・・・

 

大学を表敬訪問した際に大学教官の話が舞い込む?

話が前後することはお許しください。
企業に就職してからも地元に帰るたびに恩師やお世話になった大学の教官にあいさつに行くようにしていましたが、大学を訪問した際に恩師から「会社の方はうまくいっているのか?大学教官に興味はないか?」という話がありました。

大学教官の話というのは先の微生物の培養試験をしている最中という騒動が起こる前の話ですので、その際は「それなりに楽しんで仕事しています」と言いましたが、その話があったことによって退職を覚悟の上で部長や会社に意見しようという行動に移れたのかもしれません。

A社の退職とは関係があるようでないような話ではありますが、この記事を読んでいただきている皆様にお伝えしておきたいエピソードがあります。

恩師から大学教官の話が出たのは表敬訪問した際の雑談のような話でしたが、休み明けに出社した際に先輩から呼び出され「お前、大学の話があるだろう!」と言われました。

「話があったことはありましたが、会社を辞めるつもりは無いので断りました」と答えましたが、その話が出たのがほんの数日前にもかかわらず、そんな話が先輩まで届いているのは「何故?」と問いました。
同じ大学出身の大先輩である部長の耳にも入っており、その部長から聞いておいてくれと言われたということでした。

未だにどのようなルートで大先輩の耳に届いたのかは分かりませんが、先輩曰く、こんな話は大企業ならよくある「壁に耳あり、障子に目あり」ということで、妙な噂が立たないように注意するように言われました。

さらに、後日研究所の所長から同じ話が出てきて、「A社のお話がなければ博士の学位も取れていなかったかもしれませんし、その恩返しもできていないので、大学教官の話は断りました」とお伝えしましたが、その時の所長からいただいたのが以下のような内容でした。

「若いくせに義理堅いことを考えず、チャンスがあってそうしたいのならそうすれば良いし、海外の大学で研究したいなら紹介状も書いてあげるよ。君が恩義に感じているようなことは会社はとっくに返してもらっている」

所長さんはできた人ですねぇ。普通は、そんなことは言いませんよ!

私もそう思います。所内での私の立場のことも含めて、本当に私のことを心配してくれていたのだと思います。

進んでもいない転職の話が会社に伝わるというのは大ごとですよね。

このエピソードでお伝えしたかっとことは、転職の作業というのは秘密裏に行うのが一般的ですが、想像し得ないようなルートで伝わることも有りますので、事前に会社に知られることが無いように慎重すぎるくらい慎重に行動した方が良いということです。

それにしても、同じような不満を持っている人が何人もいたとしても、それを口にするのはリスクが高いことなのに、よくそんなことをしましたね?

何度も申し上げていますが、若かったのだと思います。でも、犠牲になったとは思っていません。後に会社の人にお会いしたときに「あの一件以来、会社の風通しが良くなった」というお話も聞いたことがありますので、私の行動が無駄ではなかったということで後悔もしていません。

確かに、データの改竄や隠ぺい工作というのが問題にもなっていますが、内部告発した人は外れくじを引いたような形になることが多いようです。

会社をよくするために行動を起こしたとしても、後のことはしっかり考えることも大切というのも大切というのも今回のお話の教訓かと思います。

会社を辞めるときに家族とかの反応は大丈夫でしたか?

当時、結婚しており、嫁に「会社を辞めることにした」と報告して大学教官の話があることを伝えたところ「あらっ、そう。それでどうするの?」とあっさり返されましたが、よくできた嫁で助かりました。
転職によって迷惑をこうむる家族のこともしっかり考える必要があるということもこの時に学びました。

でも、次の話があってよかったですね。

大学教官の話があったから行動を起こすことができたわけですが、恩師に連絡したところ大学教官の話はまだ決まってなくて探している最中ということでしたので、話はとんとん拍子に進みました。
その経緯、さらには、大学教官を辞めることになった経緯は次のお話でさせていただきたいと思います。

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