大学教官という研究職は?世間で言われるほど優遇されていない地方大学の教官

研究職
3年間という短い期間ではありましたが大企業の研究職を続けることを断念して、次に選んだ研究者の道は地方の国立大学の助教(当時は助手と呼ばれていました)です。テレビドラマなどに出てくる大学教授や准教授と言えばエリートのようなイメージですが、大学教官というのは世間の人が考えているようなステイタスというわけではありません

大学の先生と言えば、エリートのかっこいい職業というイメージですし、助教ということはエリート候補生です。そして、当時は国立大学の教官ということは国家公務員でもありますので、人気の安定職の一つでもありました。
ただし、今は独立行政法人化に伴い国立大学法人の教員ということになりますが、公共性の高い国立大学の教官は「みなし公務員」として公務員と同じように扱われています。

さて、国立大学の大学教官というのは教授、准教授、助教という役職で給料が決まっていますし、民間企業と同じく年齢による差もありますが、厚生労働省の平成29年 賃金構造基本統計調査によると、大学教育職の平均給与は教授で1,050万円、准教授で861万円程度だそうです。

参照元:大学教授の仕事 大学教授、大学准教授、大学講師の給料・年収 

待遇面については大学の規模、すなわち、学生数によって異なっていますが、仕事に関しては「学生の教育と自身の研究活動」ということで、地方の大学でも七帝大と呼ばれる国立大学でも差はありません。
しかしながら、研究活動をしていく上での資金面や研究の進行速度、あるいは、実質的に研究に着手する学生のレベルなどは大きく異なってきます。

また、科学研究費助成事業の利用や企業との共同研究など研究資金が手に入りやすい七帝大と異なり、地方の国立大学では資金調達も含めた政治力が重要な部分もありますし、学生のレベルや資質に合わせた運営の仕方など考えるべきことが中央の大学とは大きく異なっているように思われます。

正直なところ、予算の問題を除けば研究活動は自由であり、自分がやりたい研究を実施することができますので、思い切り研究がしたいという方にとっては良い面があると言えるのかもしれません。

ただし、私だけかもしれませんが、政治的な戦略を考える必要があるという面については辟易とする面も多々あり、9年間在籍して辞めることになりました。
テレビドラマの「白い巨塔」のような世界というのは、医学界だけでなく、工学部でも起こっており、「ええかっこしい」というわけではありませんが、反骨精神の強い私には耐えがたい面もありました。

でも、地方大学とはいえども国家公務員(今は、国立大学法人の教職)という人気の職種ですし、研究が自由にできるということならば大学教官を辞めるというのはもったいない話です。

それは友人や後輩、先輩など合う人全員にさんざん言われました。
確かに、好きな研究ができるというのはメリットとは思いましたが、そのメリットを上回るほどのデメリットがあり辞めることになりました。
簡単に言えば、同じ研究室の教授や准教授との考え方や研究室の運営方針など研究以外の面で不満というよりも憤懣ともいうべきほどの憤りを感じることになりました。大学に勤務していた9年の間に直面した大小の憤懣が蓄積されていったというわけです。

大学教官の仕事とは?

大学教官には教授、准教授、講師、助教の4種類が存在し、基本的にはどの教官も博士の学位を取得している必要がありますが、助教に限っては博士の学位を取得する予定であれば修士の学位しかなくても認められる場合もあります。

講師というのは、教授と准教授で担当している講義の負担を減らすために設けられる講義をする役職のようなもので、基本的には准教授と同等の立場と権限が与えられていると考えても良いと思いますが、細かい点は大学や学科によって異なっていると思います。

そして、どの教官もやるべき仕事は、大まかに言えば、「自身の専門分野の研究と学生の教育・研究の指導」が主な仕事になります。

  • 自身の専門分野の研究:各教官は博士という学位を持った独立した研究者であり、それぞれの研究の価値や意義などはお互いの主張を尊重している部分があります。
    もちろん、助教や准教授の研究テーマについては教授の承認は必要ですが、余程アブノーマルなテーマでない限り研究テーマが否定されることはありません。
    そして、各教官のテーマの実質的な作業、すなわち、実験を担当するのが研究室に配属されている学生であり、各テーマに最低限一人は就くことになりますので、自分が受け持つ学生の研究指導も担当します。
  • 講義と教育:カリキュラムにのっとって割り当てられた講義をしますが、教授は講義のみ、准教授(講師)は講義と学生実験と呼ばれる実習、助教は実習のみというのが教育活動になります。また、昔と異なり、教養部の撤廃により専門英語の授業などを全教官で分担するケースもあります。
  • 研究室を運営していくための事務的な仕事予算管理、各種申請書類の作成などもありますし、学生の就職や進路の指導なども含まれています。
    研究室によってやり方は異なっており、分業でするところもあるでしょうし、助教が行って准教授と教授がチェックする場合もありますし、技官や事務官と呼ばれる職員が行っているような研究室もあります。
私が居た研究室では、教授と准教授に助教として着任した私が加わり、先代の教授のころから所属している技官が教授の実験を手伝っておりました。
また、私が居たところでは概ねこんな感じでしたが、研究室の運営方針はその研究室のトップである教授に一任されている部分があり、教授の運営方針によっても微妙に異なってくるでしょうし、教官の構成によっても変わってきます。また、大学によっても細かいところは異なっていると思います。

お聞かせいただいたお話から察する限り研究は自由にやらせてもらえそうですし、不満か憤懣かわかりませんが、研究するという意味では辞めるほどの理由はなさそうですね?

それがそういうわけでもないのです。些細なことですが、地方の大学は国立大学といえどもいくつかの研究を行うための研究費は潤沢にあるというわけではなく、お金に関してせこい話がいくつかあって教授、准教授としっくりいかないこともありました。

しっくりいかない教授、准教授との関係!

当時、国立大学の教官の研究費や旅費というのは国から支給されていましたが、その額たるや微々たるもので、支給される研究費だけでは複数の研究テーマを実施していけるような金額ではありません。

加えて、旅費にしても科学研究費助成事業に当選したときに支給される学術研究助成基金助成金や科学研究費補助金に申請している旅費や企業との共同研究などで得られる共同研究費から捻出できなければ、年に複数回の学会に参加する場合の不足分は自腹で出すしかありません。
国際学会などで海外の学会に参加するとなると、その旅費の負担は生活費そのものを圧迫することになってしまいます。

今は大学の独立行政法人化に伴い国立大学法人によって運営されていることになっていますが、当時は文部科学省の管轄であったものが国立大学法人の管轄になっているという違いだけのようです。

着任早々の准教授からの一言!

私が大学教官をしていたのは独立行政法人化の前ですが、研究費が不足する方が問題ですので、旅費については自腹を切ることが多かったです。教授や准教授の給料は知りませんが、当時の私の年収は400万円から450万円であったように記憶しています。
もちろん、年齢給もありますので准教授や教授に昇進できなくても、毎年、少しずつですが収入は増えてきます。

先にも申し上げましたように大学教官というのはテレビドラマで見るような高給取りではありませんし、研究のために必要なお金も支給されるお金だけで充足しているというわけではありません。

そんな中着任した直後の教授、准教授との顔合わせの際に、准教授から「自分の研究費を〇〇さんに回すことはできないので、〇〇さんの研究費は教授の予算から出すようにしてください。」という話が出されました。

着任早々で、右も左も分からない私は「?」となりましたが、教授が「いいですよ」と少し険しい表情になっていました。
後から聞いた話では、もともと、准教授の方が先に研究室に所属しており、先代の教授が退官した際に新たに着任した教授らしく、もともとあまり仲が良いというわけではないみたいでした。

実績と保身ばかりを重視する教授とも・・・

話が前後しますが、私を招聘した理由は、当時爆発的なブームになっていたバイオ関連の分野を導入した学科改組を行うためにバイオ、特に、発酵生産という応用研究を熟知した研究者が必要になったということでした。
私の出身大学の教授に「誰かいないか?」と問い合わせたところ、私に白羽の矢が立ったというわけです。

着任した研究室の教授と准教授はもともとバイオを専門としていたわけではなく、化学反応で使用する反応器に微生物などの生体を利用したり、触媒を酵素に置き換えて研究を実行したりすることでバイオ関連の研究室となっていました。
行っていた研究を見させていただいた際には、バイオ関連の学科を設けている大学では学生実験で行うような実験を行っていた研究もあり、正直なところ、「大丈夫だろうか・・・?」と思いました。

いくら大学の教官といってもすべての分野を知り尽くしているというわけではありませんので、教授としてはバイオテクノロジーを専門分野とする研究者である私には大きな期待をしていたようです。
というわけで、私なりにできることから始めようと企業との共同研究を計画することにしたわけですが、そこでも一つの事件が起こりました。また、他にも「何故?」と思う出来事がいくつかありましたので、「これは!」と思ったものご紹介させていただきます。

企業との共同研究交渉における教授との意見の食い違い!

大学は国立大学法人(当時は、文部科学省)の子会社のようなものですから実績が必要なことは理解できますので、学科改組が順調に進行していることの証として、投稿論文やバイオ関連の共同研究に関する実績は喉から手が出るほど欲しかったのではないかと思います。

そのために呼ばれたわけですから、当然、全力で頑張るつもりでいましたが、少ない研究予算をやりくりしている教授に迷惑をかけるのも忍びないので、自分の研究に必要な研究費くらいは何とかしたいと思い、若輩ながらも、企業との共同研究を進めることにしました。

当時、藻類の研究を行っていましたが、遊休設備を使ってクロレラ粉末の製造販売をしたいという知人に紹介してもらった企業との共同研究の話がまとまりつつあり、教授に担当者を紹介したところ、私が少し席を離れたすきに出資額を半額に値切られていました。

教授に「何故?」と聞いたところ、バイオの共同研究を実施しているという業績が大事なんであって金額を下げずに撤退されたら困るので企業の提案する金額を受け入れたというような内容の説明を受けました。

設定していた金額は最低限必要な金額として算出したものであって、値切られた金額では研究費の足しになるどころか赤字になってしまいます。
「値切られた金額でよいのであれば私は外れますので、教授がやってください。」と申し上げ、企業の担当者にも同様の話をしたところ慌てて元の金額に戻してきました。
この一連のやり取りで教授との関係はギクシャクしたものになってしまったのかもしれません。

大学内での派閥争いに巻き込まれそうに・・・

地方の大学というのは博士課程がないところもありますので、名前の通った大学で博士を取得した研究者が在籍しているケースが多くなり、その方が別の研究者を招聘する場合には出身大学に相談するケースが増えてきます。
従って、同一大学出身の教官が増えてくるというわけですが、私が着任した大学でも〇〇大学出身者と□□大学出身の教官が覇権争いをするというドラマのような話が実際にありました。

私は教授と同じ大学の出身でしたが、ある日、私の出身大学の集いがあるので出席するように言われました。
このことについては、教授の言われることが正しいのかもしれませんが、私は優れた研究成果を出すことが大学の研究者となすべきことであって、「そんな集いに使う時間と労力があるのならばそちらを優先すべきです」と断りました。
このことによって教授の私に対する見方が少し変わってきたのかもしれませんが、私に対する風当たりが厳しくなってきたように思います。

学生に対する考え方の違い

教授に直接支持している学生は私が研究指導するわけではありませんが、相談を受けることはよくありました。
ある時、教授と打ち合わせをしていたはずの学生が深刻な顔つきで教授室から出てくる姿に出くわしました。

学生に「何かありましたか?」と尋ねたところ、「研究の進め方について提案したところ、けんもほろろに、あなたは私の言われたことをすればよいのです。」と言われたそうです。「大学院まで進学したのに研究者としては認めてもらえないのでしょうか?」という学生の言葉を聞いて教授室に怒鳴り込んでしまいました。

「学生は実験器具ではありません。学生といえども研究者であることに変わりは無く、方向性が間違っていたとしても理由を述べて議論すべきではないですか?」といったような内容のことを言ったように記憶しています。
少し丸くなった今でも、日常はともかく同じ学問をたしなむ者として研究者としての人格は認めるべきであると考えており、こちらが間違っていれば学生に謝ることも有りますが、教授から学生に対する謝罪は無かったようです。
これは教授の考えが見えるようになってきた事件であって、お互いに敬語で会話していますが、心の中で私のことをどう思っているのかは分かったものではないと思ってしまいました。

エリートに見える大学の先生もいろいろあるのですね。でも、そんなことを言ってしまったらだめでしょう?

そうかもしれませんが、その時は頭に血が上っていたということも有るのかもしれません。社会人としてはもう少し冷静に判断して行動すべきであったと反省しました。
でも、これらの一連の事件は教授、助教授に対する不信感が募っただけで、大学を辞める理由となった大きな事件の予兆だったのかもしれません。

大学を辞めることになった事件とは?

ご紹介させていただいた話以外にも細かい話はたくさんありますが、それらも含めて不信感の塊のようになっていた私に決定的となる事件が発生しました。

実験道具すら満足に購入することができない中で細々と実験をして、学会発表こそ年に数回は実施できていたものの、8年を経過しても投稿論文が出せるほどの研究成果が得られるには至っておりませんでした。
投稿論文を書けていないことについては、研究者として未熟であったことも有ります。

そんな状況の中、ある時、准教授もしくは講師に格上げするような話が教授から舞い込んできました。
昇格するためには研究者としての実績、すなわち、一定数の投稿論文や学会発表が必要ですが、准教授の枠があいたこともあり、後々のために講義を担当してもらうという目的もあったらしく、昇格の条件は教授の担当していた科目の講義を担当するというものでした。

その科目というのがバイオとは全く無縁のもので、「学生時代にその講義は受けていますが、これからこの分野を究めようとしている学生にその分野の興味深い点を伝えるような講義をする自信がありません」と申し上げて、昇格の話を断りました。

教授からは「教科書があってそれを読むだけでよいのだから誰でもできる」と言われて、「それならば私がやる必要はないでしょう」と言ってしまいました。

そして、昇格の話は学科内の教授に根回しされていたらしく、断ったことが学科の教授会で問題視され、「〇〇君のような実績のない者を昇格させてあげようというのに断るとは何事か・・!」といった話になったということを別の教授から伝えられました。

併せて、「バイオの導入は学科改組のために仕方なく認めたのであって、学科改組が行われた今となってはバイオは学科のお荷物でしかない」とも言われました。

この話を聞いた時点で、日本の国公立大学の工学部の中で下から数えた方が早い、すなわち、二流大学といわれる理由は学生の偏差値が低いだけではなく教官の偏差値が低いのだと思った私はその足で直属の上司である教授のところに行き、同じ考えであることを確認した上で、辞める趣旨を伝えました。

学生の教育に関して疑問を持つ教官もおり、私の相談相手にもなってくださっていた教授から「〇〇君の性格をよく知った上で、嵌められたんではないか?、何故、そんなに結論を急いだのか?」と惜しまれました。

研究設備を整えるための費用も無く、学科のお荷物と呼ばれるバイオにお金を回すつもりもないとなると研究テーマは自由に選ばせてもらっても何もすることができないわけですし、教授会の見解に恭順できなければ未来も無いとなると研究者としてダメになると判断した私の決心が変わることはありませんでした。

大学の博士課程を卒業する際に私の恩師である教授から「君は大学の先生には向いていない」と言われたことを思い出し、「なるほど!」と納得した次第です。

世間一般で言われている大学のイメージとは少し違っているということでしょうか?

全ての大学がそうだというわけではなく、私が所属した学科だけかもしれませんが、多かれ少なかれ似たようなことは存在し、特に、地方の大学では多い出来事かもしれません。

それにしても、当時は公務員だったわけですし、その職をあっさり捨てるというのは勿体ないです。

そう考える方はある程度の不満や憤懣は我慢して大学のやり方に合わせて行動する必要がありますし、時には、同僚の先生に迎合するということも必要かと思います。
また、これから大学教官を目指そうという方も似たようなことは起こりうるということを理解した上で選択することをおススメします。

企業でも大学でも我慢しなければやっていけないことはたくさんあるでしょうし、引くべきところは引いて出るべきところは出るということが大切という教訓ですね!

そういうことです。時間をかけて冷静に判断するということも大切かと思います。辞める話を担当する学生に話したところ、「先生は瞬間湯沸かし器やなぁ」と笑われました。
今回も事後承諾になってしまいましたが、家に帰って嫁に話したところ、普段の態度からある程度の察しがついていたみたいです。
今後の心配はしていましたが、家族に迷惑をかけないようにすぐに次の職を探すように伝えたところ、「分かった」という一言で終わりました。

実際には、私が担当していた学生の卒業までの研究のことや私が辞めた後に残ることになる学生の研究活動のことを信頼できる教授にお願いしたりしながら次の職を探していたところ、大企業で働いていたころに私のことを気にかけてくださっていた年上の同僚から「大学を辞めるならば、経営難に陥っていりかけている発酵生産をしている中小企業の立て直しをしてみる気はないかというお話をいただきました。

研究職で転職するという選択をする可能性があるのであれば、次の職場が大学にしろ企業にしろ、自分の研究や研究活動に理解のある人をたくさん設けておくことが大切であるというのも教訓の一つかと思います。

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