ベンチャー企業の研究職とは?専門分野外の知識も問われる!?

研究職
次の転職先は、世間ではベンチャー企業と呼ばれる上場を狙う会社の研究開発職です。入社時の役職は部長で、後に開発担当役員という形で取締役として働くことになりましたが、これが間違いだったのかもしれません。最終的に7年後には表向きは自己都合という形で退職することになりました。

次のベンチャー企業というのもお知り合いの伝手で決まったのでしょうか?

いいえ、当時40歳の中盤に差し掛かっている年齢でしたので、さすがに、知り合いも紹介できる立場の方というのは少なく、ここにきて初めて人材紹介会社を利用することになりました。

40歳代というと管理職クラスの方の中途採用というのが多くなっていると思うのですが、40歳代というのは人材紹介会社を利用するにしても大変なのではないですか?

そうですね。転職サイトなどを見ていただくと分かりますが、「明らかに若い人を希望しているなぁ・・・」という感じの募集が多くなっており、40歳代、50歳代の求人というのは数えるほどしかありません。他の職種も年齢が上がると転職は難しいと思いますが、その特殊な専門性から40歳代の研究職の転職というのは、特に、難しいのではないかと思います。

研究に携わっている方ならばわかると思いますが、一つの研究が商品化、あるいは、目的とする商品を造るための産業技術として利用されるようになるためには、1年や2年の研究によって完成するというのは難しくなります。
研究分野によって異なっているとは思いますが、他に類のない新しい製品や技術を産み出すためには最低でも5年、一般的には10年、あるいはそれ以上の年数もかかることもあるというのは研究者としては常識なのかもしれません。
特に、医薬品や医療機器といった分野の製品であれば国から認可を受ける必要があり、臨床試験や安全性試験などに多くの研究者が関係し、最終的に認可を受けるための年数や費用、あるいは、人件費などの経費も膨大なものとなります。

しかしながら、それらのことは研究をしたことがないという人にとっては常識ではなく、40歳を超えて転職を考える研究者は新しい商品や技術を世の中に出すのに10年も20年もかかっては困ると考える人も居られるということを知っておくことが大切であるということを提言します。

私は40歳代半ばにして俗にベンチャー企業と呼ばれる会社の研究職、しかも、開発部長という管理職の立場で転職するということになりましたが、先ずは、その会社を選ぶことになった経緯やその会社での経験したことをご紹介させていただくことが40歳を超えて転職を考えている方の参考になればと思う次第です。

 

40歳代で転職を目指す研究者の前に立ちはだかる壁

転職情報サイトはいくつもありますが、無料でエントリーできるのでいくつかの転職情報サイトにアクセスして、履歴書や職務経歴書を登録するというのが一般的な方法です。

転職情報サイトを見ると登録するだけでいくつかの求人情報を見ることができるようになっていますので、それだけでも十分だと思われるかもしれませんが、研究ということに特化した職種、特に専門分野が限定されている研究職の求人となると、よほど運が良くなければ出会うことは困難であると考えるべきかと思います。

それならば、転職情報サイトに個人情報を載せても意味がないのではないかと思われるかもしれませんが、転職情報サイトを見るのは転職希望者だけではなく、特定の研究者を探している企業の担当者や入手している求人情報に合致する人材を探している複数の人材紹介会社の営業担当者が閲覧するケースもあります。
もちろん、企業サイドの希望により非公開になっている求人情報も登録することで見ることができるようになりますし、転職情報サイトの登録者情報をみた企業や人材紹介会社の担当者からメールを受け取ることができるというのも大きなメリットになってきます。

そして、どんな職種でも似たようなことではありますが、40歳を超える研究者が転職する場合には当人と採用しようと考えている企業のマッチングの難易度は高くなると思います。

 

40歳を超える研究職を採用する企業の期待はハードルも高い!

研究部門を統括する方が研究を担当する人を探すケースでは30歳、40歳くらいまでの若い研究者をすことになりますが、40歳代の後半や50歳代の研究者を採用したいというケースでは研究部門を立ち上げたいという会社や現在存在する研究部門を統括できる管理能力を期待する求人ということになります。

  • 研究分門を立ち上げるとなると、研究するということがどういうことなのかを理解されていなければ、転職してから過剰な期待に応えることができないということも起こり得ます。
    研究部隊の土台をつくるだけであれば10年、15年もあれば可能かもしれませんが、新製品や新しい技術を生み出すために採用したのであれば5年も待てないということも有り得るというわけです。
  • 既に存在する研究部門を統括するとなると、一つ一つの研究に対する知識や情報を持っている、あるいは、入手する能力が要求されています。
    単一の研究分野に特化した会社であればまだ良いですが、複数の研究分野に着手しているような企業であれば、幅広い学識と正解に導く判断力が必要となりますし、時には、必要に応じて大学や研究機関の学識者と議論できるだけの深い知識が必要になる場合もあります。

何が言いたいのかというと、研究者が40歳を超えて転職するという場合には、いずれにしても、会社に入ってからのハードルがかなり高いということを覚悟して入らなければ、会社の期待に応えるどころか、会社の期待に押しつぶされてしまうことも有り得るということです。

私の場合、転職サイトに履歴書と職務経歴書を登録してから声がかかったのは2件で、一つは分析技術と分析結果をは評価できる品質管理部門の部門で、もう一つはベンチャー企業と呼ばれる会社の研究部門長でした。
それぞれ別の人材紹介会社から連絡がきたお話でしたが、転職回数が3回目であるということと専門分野が必ずしも活かすことができない可能性があるということはどちらからも言われました。
転職回数は何回まで?」といったような転職に関する質問をよく見かけますが、3回というのは多いということをこの時に感じました。

最終的にベンチャー企業と呼ばれる会社に転職したということは、やはり、品質管理という職種よりも研究開発をしたかったということでしょうか?

そういうわけではありません。品質管理というのは開発とは言えませんが、異常な分析結果が出たときには問題となる個所を特定して改善策を考えるという理系でなければできない製造業にとって重要な仕事と思っていました。
ただ、健康食品を製造販売しているその会社では、たとえ出先であっても、終業するまでは禁煙というルールがあり、ヘビースモーカーであった私は入社するまでの短期間で禁煙できるとは考えられなかったので最初の面接を受けて断ることにしました。

理由はそれだけですか?

今では珍しくもないのかもしれませんが、健康増進法の前ですのでかなり先進的な考え方だったと思います。まぁ、もう一つの研究開発職という職種に魅力を感じていたということもありますが、「私に残された研究人生で何ができるのか?」という不安はありましたが、研究開発職を求める会社(以後、C社と呼びます)一本に絞り込むことにしました。

 

ベンチャー企業と呼ばれるC社の求める研究職とは?

詳細を申し上げることはできませんが、C社は既存のプラスチックの成型加工技術を利用して顧客の望むプラスチックの成型加工品を製造している会社です。
工場の技術者のによる試行錯誤の繰り返しによって顧客のニーズに合う製品を開発してできた二種類の主力製品が爆発的に売れて、ベンチャー企業を代表するような売り上げと利益を一代で築き上げた会社です。

プラスチックの成型加工というのは未知の世界ではありましたが、面接を受ける前にC社のホームページを拝見させていただき、C社の主力製品に対してプラスチックに関して素人同然である私がどのようなアプローチができるものかということを考えて面接に臨みました。

面接までにいろいろ調べて、「こんな研究をしてはどうか?」、「どんな開発をすれば顧客のニーズに合致するのか?」などと考えていたことを面接の場で提案してみました。
素人同然の人間が考えたことですので提案させていただいた内容は的外れだったのかもしれませんが、面接で「こんなことをしてはどうか?」といった提案をしたのは私が初めてということで話はとんとん拍子に進み、採用が決まりました。

 

C社における研究開発のスタート!

役職は研究開発部門の部長ということでしたが、先に申し上げたように、C社は顧客の要望に合わせて商品を開発してきた、すなわち、自社発のオリジナル商品ではない製品を展開していたので、自社発の製品を構築するために研究開発部門を立ち上げるということでした。
すなわち、研究開発部門の部長といっても部下もいない私一人の部署で、自社発の製品を開発しながら研究開発部隊を構築していくというのが課せられた使命ということでした。

入社してからは、現在販売されている製品や競合メーカー、C社が置かれている立ち位置、近いうちに上場することを目指しているために開発部門を早急に立ち上げることの必要性、社長の考える新しいアイデアなど教えていただき、1ヶ月くらいだったと思うのですが、文献や特許などの資料を調べながら必死に勉強させていただきました。

二つの商品のうち一つは専門分野のバイオと無縁の製品ではなかったこともあり、最初のうちは製造工場の一部を間借りして道具を使わせていただきながら、わかるところから研究に着手し始めました。
そして、徐々にでも部下として一緒に研究してくれる人を会社の内外から調達して、一人、二人と人を増やしながら組織を構築することも同時に進めていきました。
大企業の研究所のようなわけにはいきませんので、新たな開発を進めるためには大学との共同研究の必要性もあることを提案し、大学教官をしている友人に依頼して共同研究を立ち上げたりもしておりました。

対外的な信用という面もあったのではないかと思いますが、ちょうどこのころに個人的な事情も加わって開発担当取締役という形に格上げもされました。
ここまでは、私なりに順調に進捗できていたのではないかと思っていましたが、取締役という分不相応な役割をいただいてから思わぬ方向へと進んでしまい、社長の期待に応えることができずに志半ばにして辞めることになってしまいました。

 

企業の取締役という立場に対する戸惑い?

前職で私のことを非常識と一括した取締役の立場になるにあたって、取締役という職種は日常的な仕事の他に何をすればよいのかなどを私なりに調べることになりました。

この場で取締役の意味について説明する必要もないとは思老いますが、何の後ろ盾も無い私が名前だけにしても取締役になるということに戸惑いながらも、これまで見てきた社員にとって悪いイメージの取締役にならないようにするという決心だけはありました。

取締役に昇格されたといっても一回目の任期を全うすることなく辞任することになりましたので、正直なところ、取締役という役職がどのような仕事をするべき立場にあるのかを把握できているというわけではありません。
ただ、社外の取締役も含めて開催される取締役会への出席と日常的に行われる社内の取締役のミーティングに出席して、その際に出てくる会社の業務に関する意思決定に参加するという仕事くらいは理解できました。

 

新規事業に関わる投資案件の精査

日常的に行われる社内取締役のミーティングというのは朝礼代わりに行われる朝のミーティングのようなもので、現在の状況の報告や突発的に発生する議案に対する議論をするような場であったように記憶しています。
C社の社長は自社事業の拡大は当然のことながら新規事業に対しても意欲的に取り組まれる方で、ベンチャーキャピタルという投資会社から提案のあった新規事業に対する投資案件についても議論される場でもありました。

ベンチャーキャピタルというのは高い成長率が期待される未上場の企業に対する投資を行う投資会社であり、ベンチャーキャピタルの担当者から有望な事業やそれを開発している会社が紹介され、C社がその事業に投資をするかどうかを議論するというわけです。

参照元:ウィキペディア ベンチャーキャピタル

興味を持った案件に関しては当該企業から技術の新規性、ニーズ、マーケット情報、将来性などのプレゼンテーションを受けて、その資料を基に判断していくことになります。

私の役目は、提供された情報を精査し、C社として投資するかどうかを決定するための情報を集めることが主だったものでした。
独自にネットの情報や特許、学術論文などを調べて関連技術に対する優位性を調べたり、提示されたマーケットの信憑性について調べたりします。当たり前ですが、投資をしてもらいたい会社は良いことを誇張してプレゼンテーションする傾向にあり、調べてみると「少し違うのではないか?」と推測されるような情報が出てくることも有りました。

提案される投資案件は最低でも年間に数千万円の投資をすることになりますので、相手企業の話を鵜呑みにするわけにはいきません。
特に、医療系の技術となると、現在の進捗状況から厚生労働省の認可を受けるのに必要な期間がどの程度なのかというのは重要な問題で、認可が受けられるまでは投資が継続されることになり、状況によっては、トータルで億から十数億円の投資になる可能性もあります。

提供された新規事業の情報をもとに独自に調べることになりますが、既存技術の問題点、新規技術の優位性なども考える必要がありますし、場合によっては100件を超える国内外の特許を調べることもあります。
気づいてみると、一日の大半を調べものに費やすことになり、立ち上げたばかりの研究部門の仕事は部下に任せっきりになってしまっていました。

科学者の悪い習慣なのかもしれませんが、他人のプレゼンテーションを疑ってみて、疑いが全て否定されたときにはじめて本物と判断する癖があり、提案された新規事業にNGをだすことが多かったように記憶しております。

調べた内容を社内取締役のミーティングで報告するわけですが、あまりにNG発言が多いので、ある時、「〇年もかかって自社の新規事業が出てこないから外部からの提案を検討しなければならなくなるのであって、そこまで言うのであれば自社の新規事業を提案してくれませんか?」と怒られてしまいました。
自社の研究開発の進行が遅いことを言われると反論の仕様もありませんでした。
充分な予算・人材もなくできることも限られている中でどうやってスピードアップしろというのかという反論が頭に浮かびましたが、研究開発をしたことがない人に言っても理解はできないだろうし、それを言葉にするわけにもいかず飲み込むしかありませんでした。

その頃から少しずつ社長や他の取締役の不満も募っていたのかもしれませんが、最終的には任期を待たずして取締役を辞任するように言われ、研究開発部門の部長に戻ることになりました。
ところが、調査活動に時間を費やし肝心の研究を部下任せにしていたこともあり、研究開発部門に戻ったところで、元の研究活動に戻ることはできませんでした。もちろん、仕事を任せることによって部下が成長していたということもあるのかもしれません。

その後、役職がどのように変遷していったのかは覚えていませんが、取締役を辞任した後も研究活動からは外れて、いろいろなルートで入ってくる新規事業の特許調査やマーケット調査に従事するという生活になっていました。
考えてみれば、特許や論文の調査能力やマーケットの調査などの能力は評価されていたのかもしれませんが、ストレスと心労から体調を崩し、進めていた大学との共同研究に区切りをつけたのを最後に、7年間お世話になったC社を退職するに至りました。

後から聞いた話では、上場するための社内整備を目的として招聘された人は上場後には身を引いてもらうつもりであったという話も耳に入ってきましたが、真偽のほどは定かではありません。
いずれにしても、会社の期待に応えることができなかったという事実がありますし、体調不良が著しく退職を決意したというわけです。

当時は何歳になられていたのですか?そこから、再び転職先を探したのでしょうか?

50歳を超えていましたが、体調が回復してから、C社を探した時と同じようにして転職先を探しました。
いくつかの話はありましたが、最も期待できたのが健康食品事業を中心としている製薬会社の研究所の所長という求人が見つかった中で最も良かった話です。現在の研究所の所長が高齢でリタイアされるために次を探すことになったということでしたが、最終選考まで残ったものの甲乙つけがたいということで年齢の若い方に決まったということで不採用になりました。

C社に転職した40歳代の後半の時は時間をかければ転職先も見つけることができましたが、50歳に突入すると余程ラッキーなタイミングでもない限りは転職先を見つけることは困難と考えていた方が良さそうです。

結局は、C社を退職した時点で転職先は見つからず、失業保険のお世話になることになりました。
失業保険金の需給を受けている期間はハローワークに登録して仕事を探すのですが、相談しても「ハローワークではあなたのような高学歴の方を採用したいといった仕事が登録されることはほとんどありませんので、自分で探すしかありません。」ということでした。
研究歴を活かせるような仕事があれば理想的でしたが、年齢を考えると研究職にこだわるつもりもありません。どんな仕事でもやれることがあるならと相談を続け年齢不問という求人のいくつかにチャレンジしましたが、採用されることはありませんでした。

年齢制限をつけられないという事情から年齢不問としているだけで採用する側からしてみれば若い人の方が良いという現実を思い知らされることになりました。

高学歴を対象とした求人を斡旋してくれるところもあるということでしたが、ホームページを見ても50歳代の高齢者でも良いという企業は見つかりませんでした。

私としては生活していくことができれば問題ないということで、失業保険金の受給期間を過ぎてからは請負業のドライバーをしながらWEBライターの仕事を増やしていき、最初は月に数千円しか稼ぐことができなかったWEBライターの仕事が軌道に乗った時点で、WEBライターの仕事に企業の顧問を加えて知識や情報を切り売りするフリーランスとして働く現在に至っています。

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