小説の起源とその歴史、そして現代における小説がどのように発展してきたのかを、わかりやすく解説します。

「小説の定義って何なの?」

「小説ってどこから始まったの?」

小説を書くことを一生の職業としようとするのであれば、この辺りの質問にはきちんと答えられるようになっておきたいですね。

またそれを踏まえたうえで、小説という形式が持つ独特の特徴についても触れることができればと思います。

記事の信頼性としましては、筆者自身が実際にデビュー予定の小説家であり、複数の出版社との交渉経験があります。

そもそも、小説ってなに?

以前の記事で、そもそも「小説家」とは何なのか? ということを解説したことがありました。

本記事では、「小説家」が創作する対象である「小説」について、その定義から起源、発展の歴史を詳しく解説していきたいと思います。
それでは最初に、現代における「小説」って何なの? という質問にお答えしましょう。

小説の定義

小説とはザックリ、「自由な散文の形式で書かれた、虚構の物語」として定義することができます。散文とはつまり、普通に書かれた文章のことです。逆に、普通ではない文章ってなに? ということにもなりますね。普通ではない文章とは、5・7・5で書かれる俳句のような、一定のルールが決まっているような文章のことです。つまり小説は、自由に書かれる散文形式の文章によって構成される物語といえますね。

小説は基本的に虚構(フィクション)の物語であるとも定義されます。つまり、実際には無かったことを創造力によって生み出し、これを文章の形にするのが小説です。場合によっては「これは実際にあったお話である」という小説も見かけますが、その辺りの定義は曖昧です。しかし、過去に起こったことを寸分の誤差も無しに小説として再現することは原理的に不可能ですので、そういった物語も一種の虚構(フィクション)といえるかもしれません。

小説の語源は中国史の元の時代まで遡ります。元々「小説」という言葉は「とるに足らないお話」などを意味する言葉でした。これを明治に活躍した坪内逍遥が、『小説神髄』という著作の中で英語のnovelの日本語訳に「小説」を当てはめたのが、言葉の由来だと言われています。実際にはその以前から、中国ではnovelに対する訳語として「小説」という言葉を当てはめていましたが、坪内逍遥がこの語の用法をより詳しく定義した形になります。

こういった定義と由来の通り、小説は本来ルールの存在しない自由な創作の形式です。ルールが無いこと自体が、小説の本来のルールとも言えるかもしれません。現代では様々な小説の作法がありますが、それはあくまで小説という形式を整えるために設定されたもので、これを守らないからには小説とは認められない、という類のものではありません。

小説の大まかな形式

そんなルール無用の小説ですが、その分量によって大まかな分類がなされます。短編小説、中編小説、長編小説の短・中・長という区分けです。その定義といいますか、大雑把な共通認識というものを確認しておきましょう。

短編小説はそのまま、比較的短い長さの小説を指します。どこからどこまでが短編小説なんだ? という話にもなりますが、一般的には原稿用紙にして10~80枚程度が短編小説の共通認識であるようです。また、その中でもひと際分量の少ないものをショートショートと呼んだりします。特にこの名手と知られるのは星新一で、あまりに膨大な量のSFショートショートをこの世に生み出したことから「ショートショートの神様」と呼ばれたりもします。

次に中編小説という区分がありますが、短編や長編に比べると聞きなじみの無い分類ですね。実際、言葉としてはそれほど使われません。原稿用紙にして100~300枚程度という一応の区分はあるようですが、そこまで厳密に使う場面はあまりないでしょう。「この短編って、どちらかといえば中編くらいの長さだよね」という風に、やや長め短編を指して話題にするくらいです。

この中編以上、つまり原稿用紙にして300枚以上からが長編小説と呼ばれます。長さの限度はありません。

一般的には、本一冊を丸々占めるような作品を指して長編小説と呼ぶことが多い印象があります。

区分上は中編と呼ぶべき長さの小説でも、別の短編等と組み合わされずに単体で一冊の本として出版された場合は、中編小説ではなく長編小説と呼ぶ場合が多い印象です。

区分 分量(原稿用紙換算) 備考
短編小説 10~80枚程度 「長編小説」の対概念として扱われる
中編小説 100~300枚程度 語としてはあまり使われない
長編小説 300枚以上 「一冊に渡る作品」は基本的にこの区分

 

純文学VS大衆文学

他記事でも何度も触れてきた対立構造ではありますが、「小説」の定義を確認するうえでこの部分を避けることはできません。なぜなら現代のいわゆる「小説」は、大雑把に分けて「純文学」とそれ以外の「大衆文学」に分かれるからです。この辺りの詳細については他記事において散々触れてきましたので割愛しますが、本項ではこの対立構造について、もう少し本質的な部分を述べておきたいと思います。

芥川賞と直木賞という文学賞を聞いたことのある人は多いと思います。書店でよく見かける、「芥川賞受賞!」「直木賞作家の最新作!」という謳い文句ですね。それでは、どちらが純文学の賞でしょうか。正解は「芥川賞」が純文学に与えられる日本の最高峰の賞で、「直木賞」が大衆文学に与えられる賞です。たとえば日本人二人目のノーベル文学賞作家である大江健三郎は、芥川賞作家です。

このように、芸術性を重視する純文学と商業性に重きを置く大衆文学は、長いこと分断され区別されてきました。しかし現在では、その区別もかなり曖昧なものとなり、そもそも「純文学」と「大衆文学」という区分け自体がナンセンスなのではないか、もはや意味の無いものなのではないか、という指摘も少なくありません。というより、このような指摘はずっと繰り返されてきたわけではありますが。

そもそもが“自由”な散文表現であるはずの小説を、このような枠組みに押し込んで分断してしまうこと自体が無意味なことなのかもしれません。通俗性と芸術性はもはや、どちらかがどちらを殺すような要素ではなく、両立して然るべき性質なのかもしれません。なぜなら「小説」誕生の歴史を辿ってみれば、そこには確かに娯楽としての、通俗としての前身が存在していたからです。

 

小説の始まりはどこか

本項では、小説の起源について解説いたします。
当たり前のことですが、この世界に最初から「小説」という形式があったわけではありません。始めに原初の形の「物語(narrative)」が存在し、これが多様に発展した先に「小説(story)」という文学形式が誕生しました。

小説と文学

小説の起こりを振り返る前に、「小説(novel)」と類似した概念としてみなされることの多い「文学(literature)」の定義を確認しておきましょう。「小説」と「文学」は同じものとみなされることも多いですが、イコール関係にはありません。「文学」は本来、言語を用いて表現された芸術作品全般を指します。

つまり、俳句や詩、戯曲やエッセイなども全て「文学」に含まれます。つまり「小説」とは、「文学」の一形態にすぎないわけです。しかし現代においては、詩や随筆に戯曲といった出版物よりも、小説が話題に挙がることが圧倒的に多いため、「文学」はイコール「小説」であるかのように振舞っています。

「文学(literature)」はその歴史上、「小説(novel)」よりもずっとずっと前から存在していました。言ってしまえば、人間が言葉を使って何かを表現しようとした、その瞬間から生まれました。「誰かが誰かに星の輝きの美しさを伝えようとした、その瞬間から誕生した」。そんな風に、ちょっとポエムな感じで説明することもできますね。そしてこの「詩的表現(ポエム)」自体が、「文学」という形式の一形態です。

それから文化の形成と発展の過程で、文学は多様な形式を取るようになりました。神話伝承のような物語から民謡、伝記に日記に戯曲。そのように文学内で枝分かれしていった先に生まれたのが小説です。小説は文学の様々な形式から影響を受け、その相互作用と融合の中で誕生し、現代のような形式を取るに至ります。その最初の作品として扱われるのが、かの有名な『ドン・キホーテ』です。

小説の発生

具体的にどのような「文学」の形式が、小説の誕生を促したのでしょう。その一つが「物語(narrative/story)」です。物語の歴史は古く、神々のお話を伝えるような神話叙事詩や、土地による伝承や民話といったものが物語として形成されていきました。最も古い物語の一つは、かの有名な『ギルガメシュ叙事詩』などです。何らかの情報や伝統を後世に広く伝えるための一形式として誕生した「物語」は、そのままでは現在のような「小説」という形には進化しませんでした。しかし、その基礎的な根幹部分として発展していきます。

その後、中世における「騎士道物語」などが小説の前身として発生します。これは中世の騎士たちの武勇伝やロマンスなどを描いた物語で、現代における一種の娯楽小説として機能していました。最も有名なものは、アーサー王と円卓の騎士たちを描いた物語でしょう。いわゆるファンタジーや恋愛小説の祖先をここに求める見方もあります。中世の騎士たちは、こういった格好いい騎士たちの物語を読んで、これを騎士たる模範とし、また美しいお姫様との恋愛模様に一喜一憂して、純粋に読み物として楽しんだわけです。現在にあるような小説の楽しみ方は、すでにこの時代から確立されていたともいえますね。

その後にモンテーニュの『エセー』を先駆とする「随筆(エッセイ)」によって、個人的な思想や体験を散文の形で書き留めるような文学形式が生まれます。さらにこのモンテーニュが生きた時代は、シェイクスピアが生きた時代とも重なります。劇作家であったシェイクスピアは『リア王』や『ベニスの商人』という極めて優れた作品たちを世に送り出し、こういった「戯曲」という形式の文学を通して人間世界の悲哀や面白みというものを描き出しました。

そのようにして「文学」が各方向から発展していった先に、シェイクスピアと同時代を生きたセルバンテスの『ドン・キホーテ』や、その後にダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』といった物語が誕生します。登場人物という「個人の物語」に主眼を置いたこれらの文学が、後に「小説」と呼ばれるようになります。

小説の成長と発展

文学の発展によって生まれた「小説」という形式は、文学内の非常に大きな勢力へと成長していきます。文学史上の多くの作家達が、小説の表現方法や小説の在り方そのものに疑問を投げかけ、時には対立し、互いの作品で殴り合って高め合いながら、現在のような多様な小説の在り方を確立していきました。ここからは『ドン・キホーテ』を近代的な小説の祖として、そこからの流れを時系列で一通り見ていきましょう。

『ドン・キホーテ』が刊行されたのは、17世紀のスペインでした。その後の18世紀には、もう一つの「近代小説の祖」と呼ばれる『ロビンソン・クルーソー』が英語によって書かれ、イギリスにおける小説文化を形成し始めます。これに続いて、イギリスでは『ガリヴァー旅行記』も執筆されました。その後19世紀には小説も大きく成長し、イギリスではチャールズ・ディケンズやジョージ・エリオット、フランスではヴィクトル・ユーゴ―にゾラといった文学史上の巨人たちが立ち現れ始めます。ちなみに、現代でもポピュラーな『不思議の国のアリス』が書かれたのもこの時期です。

1900年を超えた20世紀には、もはや代表的な作家を挙げることすら難しいほどの大量の小説と作家たちが現れ、文学はまさに(筆者の個人的な史観としては)最盛期を迎えます。様々な文学的潮流が現れ、小説の多様化と複雑化が進み、現代における小説市場を一気に構築していったのがこの時期です。

そして21世紀に入り、科学技術の進歩と世界的な価値観の変容により、文学というものがかつての力を失い始める時代が訪れ始めました。現代の我々の傍にあるのは本ではなく、多くの場合パソコンとスマートフォンです。Kindleを始めとする電子書籍化が進み、小説は紙の時代から電子情報の時代へと移り変わりつつあります。しかし、21世紀というのはまだまだ始まったばかりです。22世紀から振り返ったとき、いったい21世紀の文学というのは、どのように語られるのでしょうか。

※取り上げた作家について

生没年 作家名 代表作
1547~1616 ミゲル・デ・セルバンテス 『ドン・キホーテ』
1660~1731 ダニエル・デフォー 『ロビンソン・クルーソー』
1667~1745 ジョナサン・スウィフト 『ガリヴァー旅行記』
1802~1885 ヴィクトル・ユーゴ― 『レ・ミゼラブル』
1812~1870 チャールズ・ディケンズ 『クリスマス・キャロル』
1819~1880 ジョージ・エリオット 『ミドルマーチ』
1832~1898 ルイス・キャロル 『不思議の国のアリス』
1849~1902 エミール・ゾラ 『ナナ』

 

小説の特徴

小説という媒体は、漫画や映画といった他の娯楽媒体と比較されることも少なくありません。

総合芸術である映画といった形式に比べ、小説というのは堅苦しくて、文字ばかりで貧相だと感じられる人もいるでしょう。さらに他の書籍と比較しても、有益な情報が得られる学術書や実用書に比べ、小説という媒体の存在価値それ自体が疑われることも少なくありません。

それでは小説に独自の強みとは、いったい何なのでしょうか。

純テキスト媒体である

小説の最大の特徴は、純テキスト媒体である点でしょう。近年では装丁にイラストを載せたり、挿絵を挟んだりといったこともありますが、小説本体は基本的にテキストのみで構成されます。さらに他の書籍媒体と区別するならば、小説は「基本的にテキストのみの散文形式で書かれた、登場人物個人の心情描写や葛藤、成長を主題とする物語」ということになります。

基本的には「文章(テキスト)」のみによって物語るという制約上、小説は漫画のようにイラストを用いて読者に訴えかけたり、映画のように様々な音響効果や映像的な仕掛けを用いて読者を楽しませることはできません。しかしその制約があるからこそ、小説は言語運用によってのみで読者の感情に訴えかけることに長けています。

この制約は逆手に取れば、読者に余計な二次的な情報を与えずに、その受け取り方を固定しないという特徴もあります。漫画や映画が様々な視覚的・聴覚的な方法で受け手に何かしらの情報を与えるのに対し、小説は純粋にテキストのみでその情報を提供しますので、読者はその創造力を自由に使って、思い思いの方法で物語世界に浸ることができます。

たとえばこれは、小説が映像化された際に囁かれるような、「この俳優はイメージと違う」「声優がキャラクターに合っていない」、という現象によく表れていると言えます。読者は小説を読んでいる際、その登場人物の人相や声色などを自由に想像し、自分が最も適切だと思う造詣を頭の中に描いているものです。そういった意味で、小説は作者と読者が一丸となって読書体験を作り上げていく、極めて能動的な営みであることが小説独特の強みだと言えるかもしれません。

鑑賞時間の長期性

また小説は、漫画や映画に比べてその鑑賞時間が比較的長くなる傾向にある媒体です。小説と漫画が同じページ数である場合、どちらの読書時間が長くなるかは、比べるまでもありません。長いこと電車に揺られなければならないとき、長旅のお供に小説と漫画のどちらが適しているでしょうか。これは人によりけりでしょうが、「1回」の読書体験においてより長い時間を潰してくれるのは、小説の方になるでしょう。

また同じく2時間や3時間という長丁場となる「映画」に対しても、鑑賞時間の長さという点では小説に軍配が上がります。一冊のハードカバーをじっくり読んでいれば、一体どれだけの時間を潰せるかわかりませんね。

こういった時間の長期性は、メリットとなることもあればデメリットとなることもあります。人によっては、そんなに長いこと一つの作品に時間をかけてられないよ、という人もいることでしょう。しかし小説は一気に読まなければならないというわけではなく、断続的に少しずつ読み始めてもいいわけです。一つの作品と長期的に触れ合い、その作品世界にじっくりと浸りたいという人にとっては、小説というのは最適な娯楽媒体になりえるといえます。

余談にはなりますが、日本で最も長い小説シリーズとされているのは栗本薫の『グイン・サーガ』シリーズです。こちらの小説は1979年に第一巻が刊行されて以来、作者が死去するまでに合計155巻が刊行されました。現在は故・栗本薫に代わり、他の作家達がシリーズを継続させている状況です。今から読み始めたら、いったいいつ読み終わることになるのかわかりませんね。気になる方はチェックしてみましょう。

創作が容易である

他記事でも触れているところではありますが、小説は創作が容易な形式です。これは前々項で触れた「純テキスト媒体である」という特徴から来ています。一本の漫画が連載される場合には、漫画家一人だけではなく、多くのアシスタントがこれを支援して作品を書き上げていくことになります。

また映画の場合はもっと規模が大きく、制作の過程で必要となる人材が膨大になるばかりか、その製作費はとても個人では賄えないほどの巨額となります。そのために、そもそも映画を作るための資金調達などを請け負うプロデューサーなどの職業が成立するくらいです。近年1のビッグタイトルといえる『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』などは、製作費が300億円以上、制作や公開に関わった人数はもはや数えきれません(おそらく、制作側も把握しきれていないと思います)。

一方で、小説を書くのに必要な人員は、作家一人です。必要な費用も算出してみましょう。パソコンで書きたいと思ったら、安く済ませようと思えば2万円か3万円もあれば、ワープロソフトを走らせるには十分なものが手に入ります。もっと安く済ませようと思ったら、大学ノート一冊とペンで事足ります。大体200円ほどでしょうか。インク切れが心配でしたら、ペンをもう一本買い足してもいいですね。

「ノートとペンだけで小説が書けるわけないだろ」、という人もいるかと思いますが、村上春樹などは累計発行部数が1000万部を超えた『ノルウェイの森』を執筆する際、第一稿を大学ノートとボールペンで書いたようです。弘法筆を選ばず、という奴ですね。あとは日本語がある程度書くことができれば、今すぐにでも小説を書き始めることができます。

権威性が高い

「小説」の歴史は古く、その歴史の積み重ねと研究史の中で、芸術作品としての確固たる権威的地位を確立しています。大学の一学門として、これを研究する「文学研究」という分野がかなり以前から存在し、その研究分野も細分化されているほどです。

また小説はノーベル賞の一部門でもあり、世界中が注目するノーベル文学賞という世界最高峰の賞も用意されています。ただし一応、本記事の序盤で確認しました通り、ノーベル文学賞は「小説家」のみに授与される賞ではありません。理由はもうわかりますね。ノーベル「文学」賞だからです。近年では、ミュージシャンのボブ・ディランが「シンガーソングライター/詩人」として初めての受賞を果たしたことは記憶に新しいでしょう。

漫画や映画といった分野にも極めて名誉な賞が用意されているのは確かですが、いまだ「小説」を始めとする文学のような、学術的・権威的な地位は確立できていないのが現状だと思います。2018年のノーベル文学賞は諸々のいざこざのために発表を見送られてしまいましたが、今年こそ村上春樹の受賞に期待したいところです。そうなれば、日本の書籍市場も今一度活気づくことでしょう。

 

まとめ

小説の定義からその始まりと発展の歴史、そして小説そのものが持つ特徴と性質について解説いたしました。

文学の成長と共に現れた「小説」という形式は、20世紀にその成長最盛期を迎え、新しい21世紀の時代に立ち向かおうとしています。

電子メディアや他の多くの娯楽媒体が、これまで社会と共にあった「本」や「小説」という媒体の居場所を奪おうとしている中で、21世紀の小説は何ができるでしょうか。この時代に生きて、この時代に作家になろうとする小説家は、その新しい歴史を作る一員になろうとしているわけです