小説家のやりがいについて、仕事内容からその楽しみ、職業特色について詳細に解説します。

小説家はきわめてクリエイティブな仕事の一つですので、大変な部分もあるのは確かですが、やりがいという面ではかなり充実した職業であるといえます。

記事の信頼性につきましては、筆者自身が今年にデビュー予定の小説家であり、複数の出版社との交渉経験があります。

小説家は、やりがいのある仕事

小説家のやりがいについて、一番大きい部分からご紹介していきます。小説家は自分の創作活動がそのまま仕事になるタイプのクリエイティブな職種ですので、自分だけの何かを作り出したいと思う人にとってはうってつけの職業といえるでしょう。

自分だけの物語を作る仕事

小説家は、それまでこの世界に存在しなかった新しい物語を、小説の形にするのが仕事です。厳密にいえば完全にオリジナルの創作だけではなく、映画や漫画の小説化(ノベライズ)といった仕事も小説家の仕事に含まれるわけですが、それまで存在しなかった形式に落とし込むという作業に変わりはありません。

小説家は架空のキャラクターを創作し、彼らが辿る運命を設計し、時には彼らが冒険する世界自体を創造して、一つの小説という形に落とし込みます。同じことができる職種には漫画化や映画監督、脚本家といった職業が存在するわけですが、小説家がそれらの職種と一線を画すのは、基本的に最初から最後まで、たった一人でその作業を完結させるという点にあります。

映画やアニメーションは総合芸術ですので、それを統括する人物がいるにしろ、完成までには数えきれないほど多くの人が作業をすることになります。小説家に類似した職種といえるのは脚本家と漫画家ですが、脚本はそれを基にした演劇やドラマ、映画という最終形になるまでには多くの人が関わりますし、漫画家もアシスタントを雇うなどして、基本的には複数人で作品の完成に取り組みます。

しかし小説家は、最初から最後までたった一人です。編集はアドバイスや指摘をくれるでしょうし、最終的に本という形になるためにはより多くの人が関わるでしょう。しかしその本文、本体である原稿という形が出来上がるまでは、小説家はたった一人です。誰が助けてあげることもできません。それは物語(ストーリー)を扱う様々な創作活動の中でも、最も孤独で、個人的な作業です。小説家が最初に書き上げる「初稿」は、まさに世界で自分だけの物語であるといえるでしょう。

誰かにとっての宝物を作る仕事

大好きな小説はあるでしょうか。自分にとって宝物といえるような、本棚にいつも仕舞っておいて、ついつい何度も読み返すような小説はあるでしょうか。読書好きな人なら、一冊はそういった本が存在することだろうと思います。小説家はまさに、そんな誰かにとっての宝物となりえる物語を創作する職業です。

「これを読んで人生が変わった」、という人がいます。「この小説から人生で大切なことを学んだ」、という人がいます。「この本を読んでいて、思わず泣いてしまった」、という人がいます。読書を通じて色々な感情を引き出して、その読書体験を大切に覚えてくれる人がいます。その誰かにとって大切な「本」を書くのが、小説家の仕事です。

小説家は、自分の書いている小説が、誰かにとっての大切な物語になれば良いと思っています。もしくは、何らかの感情を揺り動かすことができればと思っています。どれだけ拙い作品だったとしても、これを好きになってくれる人がいれば良いと思っています。

小説執筆をあくまで金儲けの手段として考えて、ビジネスライクに筆を進める作家もいることでしょう。しかしそういった人にしたって、頭を捻って考え抜いて、数週間も数か月もかけて10万字も書き切った後には、ふとこんなことを考えるはずです。「この小説のことを、誰かが好きになってくれたら良いな」と。結局は、それが小説家の最大のやりがいなのかもしれません。

「面白かった」と言ってもらえる仕事

小説を書くというのは存外大変な作業ですので、一度書き終えたら性根尽き果ててしまうこともしばしばです。大変な思いをして一本書き終えたばかりなのに、またイチから新しい物を書き始めないといけないなんて、途方もない作業に思えます。

そんなとき、読者の暖かい声がまた、小説家を動かすことになります。顔も名前も知らない、どこに住んでいるのかすらわからない読者が、自分の書いた小説の感想をSNSや色んな所に書いてくれます。「とても面白かった!」と言ってくれる人もいますし、「期待していなかったけど面白かった」という調子の人もいます。

中にはもちろん、否定的な意見もあることでしょう。しかし、そんな感想の一つ一つが、小説家にまた筆を取らせてしまいます。もう一つ書きたいな、と思わせてくれます。こうやって不特定多数の人から応援して頂けるという経験は、小説家等のクリエイター職でないとなかなか味わえないことですね。なかには、自分のファンになってくれる人もいるかもしれません。

お金を稼ぐ手段は、他にもたくさんあります。しかしそれでも小説家が小説を書いてしまうのは、他でもない小説を書くのが好きだからです。そして小説家は、自分の発表した作品を通して、顔も名前も知らない読者の感情を動かすことができます。その読者たちが「面白かった」と言ってくれたら、小説家は性懲りもなく、また小説を書き始めるわけです。

専門技術を研磨することができる仕事

小説を執筆するために必要な資格は存在しません。専門の小説スクールに通う必要もなければ、学歴も経歴も不問なのが小説家です。また、漫画家のようにイラストの専門技術も必要とされません。日本語が普通に使えるなら、誰でも書き始めることができるのが小説の良いところです。

しかし「面白い小説」を、「誰もが認める傑作」を書きたいと思った時には、そこにはある程度の専門技術が必要となります。それは一般に文章力と言われる技術であったり、シナリオの構築理論であったり、また哲学的な思索の文章化センスであったりします。

小説は誰でも書き始めることができる敷居の低い作品形態であるにも関わらず、その最終到達点が非常に深い部分にあるのが特徴です。いまだ「小説を極めた」と言える小説家は、この世界に存在していないのではないかと思います。より良い作品を、もっと面白い作品を書かなければと思い悩み、精神を病んでしまう作家もいます。

このように、小説家は「小説執筆」という専門技術を生涯に渡って磨き続けることのできる職業です。「これくらい書ければいいや」と思ってしまえばそこで終わることができますが、「もっと面白い作品」を、「もっと素晴らしい文章」を追求した場合、その研鑽に終わりはありません。どこかで納得してやるか、ノーベル文学賞でも取らない限り、一生かかってもゴールに辿りつくことはできないでしょう。そのような技術の研鑽にやりがいを感じている作家も、少なくないと思います。

 

小説家は、楽しい仕事

小説家という仕事は、もっと具体的な面においてもやりがいや楽しみの多い職種です。前項では主に、小説家の感情的な側面について書きましたが、本項ではもっと実際的な部分を見ていきましょう。

自分の書いた物語が、本になる

小説家は、自分の書いた小説が本になります。何をいまさら、当然だろうと思う人もいるかもしれません。しかし冷静に考えてみると、これは結構すごいことです。

Googleは以前に、この世界の全ての書籍の数を数えてみたことがありました。その合計は、約1億3000万冊になったようです。世の中はそれくらい本で溢れかえっているわけですが、「自分の書いた本」が出版された経験のある人というのは、それほど多くありませんよね。

小説がひとたび自分の手から離れると、出版社は装丁をデザインし、一定のフォーマットに則って本の形を整え、全国の書店へと並べるために多くの人が動き出します。その過程で大きなお金が動き、小説が売れることで、さらに大きなお金が売上として計上されます。その大きなお金の一部を、小説家は印税として受け取るわけです。

もちろん世の中には色んな種類の本が存在しますので、本を書くのは小説家だけの仕事ではありません。しかし「自分の書いた小説が本になる」という経験は、依然その他の職種ではなかなかできないことです。とにかく小説家というのは、自分の書いた文章を本の形にして、全国の本屋さんに置いてもらえる仕事であるわけです。大きなやりがいの一つはここにあるでしょう。

会社に縛られず、自由に仕事ができる

ひとたび著書がヒットして、安定的な印税収入が見込めるようになれば、執筆だけで生計を立てる専業作家として活動することができます。小説家は出版社と書籍発刊に関する契約を交わしているとはいえ、就職しているわけではありませんので、小説の執筆以外の事柄について縛られることはありません。

この専業作家というステージまで進むことが出来れば、小説家という職業のやりがいを存分に感じることができるでしょう。会社に出社する必要はなく、書斎に閉じこもって好きなだけ小説を書くことを仕事にすることができます。多くの人がイメージする小説家像というのは、こういった専業作家の姿であることが多いですね。

わざわざ小説家になりたいという人は、小説を書くことが何よりも好きな人が大半だと思います。そしてできれば、何にも縛られずに好きな小説だけを書いていたいと夢見ている人が多いことでしょう。そしてたしかに、小説家として成功することができたら、かなり自由な生活を送ることが可能です。専業作家を縛ることができるのは、締切くらいのものですね。

小説を書くということ自体は、別に会社に出て行く必要も無ければ、スーツを着る必要もありません。とにかく家でもどこでもパソコンを打っていればいいわけです。そういった自由なワークスタイルが可能であるという点も、小説家のやりがいの一つだといえるでしょう。

「取材」も仕事のうち

人によっては、小説の舞台とする土地に直接出向いて調査したり、題材として扱う業界や関係者に取材を行うことに強いやりがいを見出す人もいます。

『等伯』で直木賞を受賞した安部龍太郎氏は、取材に訪れた土地では必ず居酒屋に入るという話があります。居酒屋で地元の料理を食べながら、現地の人と仲良くなり、取材に必要な伝手まで獲得してしまうのが安部龍太郎流の取材術のようです。いかにも小説家らしいエピソードといえます。

また、『白い巨塔』や『華麗なる一族』の山崎豊子氏は、小説を書くために徹底的な取材を行ったことで知られています。彼女の取材へのこだわりはちょっと常識を超えた部分があり、一つの作品を書くために100人以上の関係者への取材を行い、時にはシベリアまで足を運んで調査を行ったこともあります。そういった途轍もなく細密な取材を重ねて何作もの傑作を書いた山崎氏は、「私の作品は、取材が命」とも語っています。

こういった綿密な調査や取材を行うのは社会派作家に多い印象はありますが、知らない土地や未知の業界の知識を深めていくのも、小説家の楽しみの一つかもしれません。山崎氏のような極端な例もありますが、小説家としてはぜひ見習いたい姿勢ですよね。

人気作家になれば、有名人になれる

書いた小説が有名になれば、その著者である小説家も名が知れることになります。インタビューやテレビ出演の打診をされる可能性もあるでしょう。最初こそ『××』の作者である〇〇、という認知のされ方をしますが、ヒット作を連発したなら、むしろ小説家の名前の方が有名になる場合もあります。

日本でいえば東野圭吾氏や村上春樹氏といった作家が、その著作以上に有名な小説家の代表例でしょう。彼らはもはや、日本で知らない人の方が少ないのではないかというほど有名な小説家ですね。人気作家といえども、新刊の帯には「『××』の作者の〇〇、最新作!」という文句が付くことが多いですが、彼らほど有名になればストレートに、「東野圭吾の最新作!」「村上春樹、待望の新作!」という宣伝のされ方をします。

テレビ等への露出が多い小説家としては、村上龍氏などが挙げられます。コメンテーターや評論家として活躍されていますので、一度は見たことがあるものと思いますね。しかし村上龍の名前や顔は知っているけど、その代表作はすぐに思い浮かばないという人も多いのではないでしょうか。それとやたら名前と風貌が有名な小説家としては、京極夏彦氏も挙げられるでしょう。名前は知っているけど、本の名前は知らない作家の代表格だと思います。

小説家として成功した場合、このような著名人となる可能性が多分にあります。読者の中には、熱心なファンになってくれる人もいるでしょう。このような高い社会的地位を築くことができるのも、やりがいの一つかもしれませんね。

 

小説家は、良い仕事

小説家を一つの「職業」として考えた場合、さらに多くの職業的な利点を挙げることができます。本項では、小説家の職業的な特性から、そのやりがいをご紹介しましょう。

副業がしやすい

小説家はかなり自由な職業ですので、副業がしやすいという利点もあります。小説だけで食べていくには不安がある場合や、もしくは他にも興味のある職業がある場合など、様々な理由で副業を持ちたい際にはかなりの融通が利きます。

小説執筆以外の時間は自由に使うことができるため、その時間を全て副業に当てることも可能です。印税だけでは生活が厳しい場合は、何らかの副業で収入を得ることも可能でしょう。執筆の進捗によっては、数週間や一カ月といった単位で副業にフルコミットすることもできます。

また、小説家を志す方には好奇心旺盛な人も多いため、別の職種に興味が湧いてくることもあるかもしれません。そういった際にも、締切がいくつも差し迫っているような状況でも無い限り、小説家という職業は足枷にならない場合が多いでしょう。

小説家という本業を持ちながら、他の様々な分野で活躍することもできる。これは他の多くのクリエイター職に言えることかもしれませんが、その中でも特に自由なのが小説家です。こういったフットワークの軽さに面白みを感じる人もいるでしょう。そういった副業で得た知識や経験は、そのまま小説の執筆に活かすこともできます。とにかく、どんな経験でも仕事のプラスになるのが小説家であり、同時に色々な経験がしやすいのも小説家の特徴です。

定年がない

基本的に、世の中の多くの仕事には定年があります。定年という形でなくとも、一定の年齢を超えると第一線で活躍することが難しくなるような、一種の職業寿命のようなラインがある職種もあります。

その点、小説家には定年が存在しません。この年齢を超えると小説が書けなくなるというような、職業寿命じみたラインもありません。ある程度頭がしっかりしていて、キーボードを打つ気力さえあれば、死ぬまで小説を書いていることができます。それは小説家という職業が肉体を酷使する仕事ではなく、頭の回転の速さや瞬発力を求められる仕事でもないことが理由です。

年齢を重ねることで、それ以前よりも執筆のペースがずいぶん遅くなってしまうことはあるかもしれません。しかしそれでも、小説はゆっくりと書き続けることができます。出版社さえ許してくれれば、一冊書くために何年費やしてもいいわけです。

このように、小説家という職業は人生の最後まで向き合うことができる仕事です。身体が動かなくなってしまっても、その気になれば病院のベッドで書くこともできます。文字通りのライフワークとして取り組むことができるという点は、小説家のやりがいの一つかもしれません。

完全な実力主義

小説家は、完全に実力主義の世界です。小説家の実力とはつまり、どれだけ面白い小説を書くことができるか、それによってどれだけ本を売ることができるかです。そこに年功序列や、他の評価軸といったものはほとんど存在しません。

こういった実力主義の世界で身を立てることに、やりがいを感じる方もいるでしょう。書籍の売上という成果はストレートに収入と知名度に繋がりますので、若くして億万長者になることも可能です。

最近は日本の企業でも年功序列や終身雇用が崩壊し始め、欧米型の実力成果主義が台頭しつつあります。しかし、小説家をはじめとするクリエイター職ほど極端な実力主義の業界は、他の職種ではなかなか見られません。

自分の実力と成果だけで評価されるプロフェッショナルを目指している方にとって、小説家という職業はひとつの典型例となります。厳しい世界ではありますが、それゆえにやりがいも大きいということでしょう。

最後の仕事

作家は、人に残される最後の仕事だと説明されることもあります。それは、作家という仕事が何歳からでも、何の仕事を経ても、どんな状況からでも始めることができるからです。極端な話、小説家は入院していても、前科を持っていても、歩けなくても就くことができます。

70歳から保険の営業マンやサラリーマンになりたいと思っても、基本的には難しいでしょう。しかし小説家になりたいと思うのは、それほど非現実的な話ではありません。なぜなら、前項でも説明しました通り、小説家に定年は存在しないからです。同時に、何歳までにデビューしなければならないという決まりも存在しません。加藤廣などは75歳という高齢にして小説家としてデビューし、処女作の『信長の棺』が250万部発行の大ベストセラーとなったという例があります

小説家の評価軸は「面白い小説」を書くことができるか、「売れる小説」を書くことができるかだけですので、こういうことが起こります。年齢も経歴も犯罪歴すらも関係の無い職業というのは、他にはちょっと思い浮かびませんね。

このような特徴から、作家という職業は「人に残される最後の仕事」であると言われます。小説家になるのに、早すぎるも遅すぎるもありません。遅咲きでデビューしたときには、それまでの人生経験が大いに執筆の役に立ってくれるでしょう。自分の人生の集大成として、一つの小説を書くこともできるでしょう。自分の人生そのものを描く「私小説」というジャンルすら存在するくらいです。そういった意味でいくと、小説家というのは人間であれば誰もがやりがいを見出すことのできる仕事だといえるのかもしれません。

 

まとめ

小説家のやりがいや面白みについて、感情面、仕事面、職業特色などから網羅的にご紹介いたしました。小説家はそれなりに厳しい世界である一方で、特殊な職業でもあるため、他の職業では得られないようなやりがいがたくさんある仕事だといえます。

ただし、これらのやりがいやメリットは、常に表裏一体の部分があることも自覚しておきましょう。誰にも縛られない自由な仕事であるということは、裏を返せば一般に就業で得られる職業的保障が存在しないという意味でもあります。完全に実力主義の世界であるとは、そのまま実力至上主義の非常に厳しい業界でもあるということを意味します。

しかし、それにしても小説家という仕事が魅力的な職業であることには変わりありません。たとえ途中で退場することになったとしても、自分の本を出版したという経験は一生物の財産になることでしょう。また一旦作家業から身を引いても、十数年後にまた小説を執筆する機会に恵まれることもあります。その辺りも含めて、小説家というのは本当に自由な職業だといえます。いわば、ルール無しがルールの世界です。

小説家を志す際は、そこから得ることのできるやりがいについて考えながら、最終的に自分がどのような作家になりたいのかを明確にしておくことにしましょう。最終目的地がハッキリとしていれば、紆余曲折はあるかもしれませんが、自ずと正しい方向へと向かって行けるはずです。